つくづく思う。ジャーナリズムというものは...

今までも、そしてこれからもこう思っている。

ジャーナリズムとは、記者の思い込みで作られる...と。
言い訳として、読者&視聴者(オーディエンス)に対して「わかりやすさ」を重視しているとも言うのだが、それでもかなりステレオタイプだ。記者の思い込みが最初にあって、それに沿った部分だけを使う。テレビなら都合のよいところだけを切り出して使い、記事ならば都合のよいところだけを文字にする。

僕自身のマスメディア不信というのも実は正しくなくて、本当はジャーナリスト(と名乗る人たち)不信なのだろうなぁ..と、感じているのです。


以下は本分とは関係ありません。

「山中湖村立図書館」ではなく、「図書館機能を持つ山中湖情報創造館」ですよ。
 ・新図書館でNPOが提言 UTY県内ニュース
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by maruyama_takahiro | 2008-01-31 01:07 | デジ研 | Comments(5)
Commented by てっちゃん at 2008-01-31 02:29 x
 たしかに、思い込みによって作られることもあるでしょう。その思い込みは、いろいろなもので構成されていると思います。まず「見た」「聞いた」と言われれば、そう思い込みます。また、公式見解を公的機関が発表すれば、そう思い込みます。さらに、専門家がそう言ったのだから、と思い込みます。

 最初からその思い込みがあるのかどうかは、それぞれのケースだったり、それぞれのジャーナリストの質にもよるで、なんとも言えません。ケース・バイ・ケースでしょうね。

 ただ、都合のよいところだけ切り貼りするのは、そのメディアによっても違ってきたりするので、それもまたケースによるのではないか、と。

 まあ、ジャーナリスト(もしくはそれに準じる人)は、専門家ではない場合が多いので、情報を発信した人に流されることが多い。そのため、情報操作も案外楽だと感じている人も多いことでしょう。
Commented by yhwh at 2008-01-31 13:12 x
 はじめまして。shizukuの中の人のyhwh(kami)と申します。shizukublogでの返信が遅れ、申し訳ありませんでした。
 僕がサークルでCATVの番組を作っていたときは、基本的に「(調べる)取材」→「構成」→「(画を撮る)取材」→「編集」という感じで作ってました。「(調べる)取材」→「構成」の辺りで結構主観が入っちゃうんですよね。もしくは(調べる)取材の前に。問題意識があればあるほどに。
 時間が無かったりすると「(画を撮る)取材」→「構成」→「編集」で作ったりもするんです(ニュースなど)。取材→構成という流れのため、「出来の良い」ものにするために都合のよい部分を抜き出して使っちゃうこともあるんですよ。ジャーナリズム云々以前に。プロの人たちはわかりませんが。

>山中湖情報創造館
なんですよね。つい友人と話すときは「山中湖」「山中湖図書館」と言ってしまいます。
blog上では気をつけますm(_ _)m
Commented by lanova at 2008-01-31 13:18
情報のあり方というのが、情報の出方と密接に結びついているとは思いますが、どの時点で情報が操作され、またどの時点の情報を真実と受け止めるか、その出された情報自体が正しいのかどうか…なんだか堂々巡りをしてしまいそうです。たとえば、昨今のテレビや新聞をにぎわせているアメリカ大統領選挙、民主党のオバマ候補、「初の黒人大統領になれるか!?」などといわれていますが、彼は黒人ではありません。白人と中東のハーフなんです。どこでこういう情報になっちゃうんでしょうかねえ。
Commented by フォトボル at 2008-01-31 14:56 x
ジャーナリストと言われている方たは、直訳すると情報屋さんとでも言いましょうか、話題を提供又は紹介し、判断を情報が受け取った人がすることになると思うので、専門家でもないしその道のプロでもありません。受け取った情報を正しく理解することが私たちに求められているのかな。 なま言っております。m(_ _)m

Commented by maruyama_takahiro at 2008-01-31 15:26
みなさん、ほんとにほんとにコメントありがとうございます。

何よりも気になることは、ジャーナリズムがありようが、「取材する前に組み立てた思い込みの中に、取材した素材から都合のよいところだけを切り出して、当てはめている」ということが、少なからず...いやかなり多く...いやほとんどの報道に対して感じてしまうことなのです。極端にいえば「住所不定無職」と言ってしまえば、オーディエンス側は「さもありなん」と納得しちゃう。そういうステレオタイプ的なものの見方を増長させているのが、テレビや新聞などのジャーナリズムの在り方になってしまっている。
本当のジャーナリズムってそうじゃないだろう...なんて言ってみても、日々の取材・原稿書き・テレビカメラの前に立つ事で、すっかり忘れてしまう。そんな在り方に対して不信感を持っているのです。
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