写真の《価値》

前に引き続き、《価値》について

昨夜あるニュース番組で、本年6月に発生した「岩手・宮城内陸地震」で被災され、せき止湖によって水没した温泉旅館が取り上げられていた。そこの8代目ご主人が、地震後はじめてその水没した宿に行くことができたということだったが、彼がなによりもまず探し出したかったものは『母の写真』であった。

 ・湯ノ倉温泉・湯栄館
 ・湯栄館 関連ニュース Googleニュース
  河北新社の記事はすで削除されています

たぶん縁もゆかりもない僕たちがその写真を見ても「昔の女性が写っている古い写真」でしかない。前の記事のように「古写真鑑定」をしたところで、そうそう高い値がつくとは思えない。しかしながら、そのご当主にとっては何よりもかえがたい《価値》があるのだ。

以前別のニュースで、ホームレスになった人がリサイクルショップを立ち上げ事業化した話を聞いた。彼によれば、「一人でも欲しい人がいれば商売になる」という。割れた茶碗であっても、タイルのようにテーブルトップに使うこともできる。捨てられるだけの割れた茶碗であっても、それを欲しいと思う人には、一箱に値段が付いていても買ってくれるのだ。

 ・生活倉庫

一方で、誰もが納得できる客観的な評価額があり、もう一方できわめてプライベートな価値が生まれる。たぶん、僕らが取り扱おうとしている対象となるデジタルアーカイブには、そういう性格の《価値》があるのだと思う。

【参考】
 ・岩手・宮城内陸地震 Wikipedia
 ・生活倉庫
 ・堀之内九一郎
[PR]
by maruyama_takahiro | 2008-12-16 09:21 | DigitalArchives | Comments(0)
<< 図書館雑誌 2008 12 地域コンテンツの《価値》 >>