映像教育の分野には?

ふと思ったのですが...

美術学校、写真学校、映像学校などで、いわゆる「地域の歴史や文化を写真や映像として記録保存する」という分野はあるのだろうか。

商業写真、報道写真などはあります。作家性で語られる写真が多いのも事実です。映画にしてもドキュメンタリーはあくまでもドキュメンタリー作品だったりします。商業的でもなければ、作家性よりも記録性の高い記録写真/記録映像を作る・撮るという行為は、そもそも教育の対象ではないのだろうか...。

別の視点で言えば、文化人類学や郷土学/地元学的に写真や映像を記録する...というジャンル。

そろそろ生まれてきてもいいように思う。

そうそう、自衛隊には写真や映像記録をする専門の部隊がありますし、どこの駐屯地でも広報課には写真記録担当の方がいらっしゃいます。ほかの省庁や地方自治体では...あまり見かけないですね
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by maruyama_takahiro | 2008-12-30 00:55 | 地域コンテンツ | Comments(7)
Commented by power_of_math at 2008-12-30 21:38 x
文化人類学系にはあると聞いています。

マルチメディアの専門家だと聞いたので、文系大学のマルチメディア実習を頼めないか聞いたら、フィールドワークの記録が専門だから、Flashの実習など指導できないと言われたことが…
Commented by maruyama_takahiro at 2008-12-30 23:46
>power_of_math さま
コメントありがとうございます。

一安心するとともに、この分野はもうちょっと充実していってもいいかな...と、思いますね。純粋に「今を記録する」、あえて「番組化しない」、例えばお神楽の記録だとしたら、番組は適当に切り取って編集してしまいますが、全編延々と撮影しておく。できればマルチアングルで。そんな映像記録の手法...というか、ジャンルといいましょうか...そんなものが必要なんじゃないか...って、思いますね。編集権はあくまでも見る側に置く(チャプターサーチや早送り、巻き戻し、ストップモーションとか)...そういう映像コンテンツの作り方は、たぶん今の映像系写真系専門学校では...まずやらないですから(商業的に不向きですので)。

ありがとうございます。

Commented by TsunaguNPO at 2008-12-31 14:45
普通の生活の記録って、実はほとんどやってませんよね。
専門分野の記録法も必ずしもいい記録法とは思えないところもあります。丸山さんが言っているマルチアングルの記録法も、ではそれがいい記録法かといったらまだまだ考える余地があります。たとえば内田さんの写真だって、明らかに内田さんだから撮影できた「内田式生活の記録」ですよね。それは実際の生活とは少し異なる記録になるのでしょう。ボクの立ち位置は、いずれにしろ、実際の生活の記録は不可能である、というところから、あくまでもきろくしゃの「表現」としてとらえる、という考え方です。
Commented by maruyama_takahiro at 2008-12-31 15:41
“普通”っていうのが実は一番難しい...ことなんですよね。
例えば
「普通の自動車」って存在しないんです。「トヨタ◯◯◯◯」とか「日産△△△」など必ずなんらかの表現で顕在化させないと存在できないし、存在させたとたんに「普通」ではなくなるんです。「平均的」というのにも似ているかもしれないですね。「普通の生活」「平均的な生活」って実はあり得ない。それと同じように「記録」を捉えると、やはり失敗しそうですね。

必ず「誰か」がその記録をしている...だからこそ残す事ができる。

ただ...たぶん僕の中には、その記録が「作家性」「作品性」を前に出すのか、記録された内容を前に出すのか...のスタンス(立ち位置)の違い程度のことなんでしょうね。ビミョーですがそのあたりに、フツーのcopyright(著作権)と cc(クリエイティブ・コモンズ)としての記録の違いっていうこともあるんじゃないかな。


Commented by TsunaguNPO at 2008-12-31 17:54
内田さんの場合、一方で写真コンテストなどにも出品していましたし、そういう種類の写真もたくさんあります。
むしろ、農村風景の写真などは、作家性よりも記録性のほうを重んじていた傾向があるようにも思えます。つまり、農村風景などはコンテストに出しても通らないだろうというような、暗黙の諒解事項がありますよね。笑
ところが、コンテストには落ちるかもしれない、そういうことを意識しない写真のほうが、後世はるかに価値を生み出すような場合があるようにボクには思えます。
いずれにしろ、記録する人のある種の能力が邪魔をする場合もあるし、活かされる場合もある。ただ記録する、ということは、本当は、カメラをのぞいた瞬間に、ありえないことだとわかるのです。
著作権って、たとえば50年とか60年守られたにしろ、その先はフリーになるんですよね。ということは100年のスパンで考えたらないといってもいいわけでしょう。笑
Commented by maruyama_takahiro at 2008-12-31 18:04
中山氏の写真とくらべると、内田氏の写真の方により「作家性/作品性」を感じます。構図の取り方とか、シャッターチャンスとか...それはたぶん内田氏の写真家としての技量が出てしまうんですね。あるいは撮影されたフィルムの中から「選択」しているのかもしれませんけど。

メディアリテラシーの話題の中でも指摘される事ですが、写真や映像には「フレームの外側がある」ということ、表現されているのは「フレームの内側/ファインダーの内側」なんです。だからといって360℃のパノラマ写真なら解決するか...というとそれもまた違うんですが(今度はシャッターを押された瞬間というk時間の問題がでてくる)。

写真の著作権は、昔は写真が発表されてから50年だったものが、今は撮影者の死後50年になったそうです。それでも著作人格権はずーっと着きますが、使用にあたっては誰彼の許可はいらなくなります。

Commented by maruyama_takahiro at 2008-12-31 18:09
写真の《価値》という意味では、指標のひとつとして「写真に写っている像の中に」

 1.どこで撮影された写真かが判る
 2.いつ撮影された写真かが判る
 3.何を撮影した写真かが判る

という要素があるんじゃないかな...と、思っています(もちろんそれ以外の要素もありましょうが)。その写真一枚の絵の中に「いつ、どこで、なにを」撮影したものか。看板があるとか、風景を特定できる何かが写っているとか、行事の名前や特徴がはっきり判る...とか。そういう意味においても、コンテストに出す作品とは被写体の取り方が異なります。判読でもる文字があるとか、年代を特定できる看板やポスターが写っているとか...

そう考えると、今現在何に気をつけてシャッターを押したらいいのかという心構えのようなものが出てくるように思うのです。
もちろん、一枚の写真の中にそれらの要素が入っていることは理想ですが、連続する数枚の写真の中でもOKかな。


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