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本のイノベーション(技術革新)を考える

ひさびさのブログです。

facebookでもいいかな〜と思ったのですが、ちょっと長くなりそうだったのでブログに書き留めて起きます。
僕は山中湖情報創造館という図書館機能を有する施設の指定管理者館長をしています。さぞや「本が好き」な人なのだろう…と、思われがちですが、実は…本は嫌いではないが、手放しで好きなわけでもない。というのが本当のところです。昨今「電子書籍」といった新しいカタチの本があるから、それはイノベーション(技術革新)だろう〜と言われる人もいらっしゃいますので、まずは「電子書籍」について


○ 電子書籍は本のイノベーションではないのか?

 ひとつの見方でいえば、電子書籍端末やスマートフォンやタブレット、そしてパソコンを使って読む電子書籍は、技術革新だと思います。ただ、正直なところ「紙の本の模造品」的な電子書籍なのです。かつて本がデジタル化される…という時代をみてきたものとしては、そこに「ハイパーカード」や、それをプラットフォームにした「エキスパンド・ブック」といった、紙の本ではできない「デジタル」だからこそ表現可能な本のスタイルがありました。文字や図版だけでなく、動画や音声、3Dデータなどを含めたコンテンツです。エキスパンドブックはその後ハイパーカードを離れ、独自のプラットホームを持つに至りましたが、残念なことに今日当時の電子出版物さえ見ることはできなくなりました。また、Apple社のiBooks AuthorやAdobe社のInDesignなども、実はマルチメディアコンテンツの本を作るためのツールとして登場していましたが、残念なくらい動画や音声など紙の本を超える本は…ごくたまにあるくらいです。電子書籍フォーマットであるePUB(イーパブ)も、そのフォーマットには規格されているにもかかわらず、デジタルならではの表現をもった本はメジャーな出版物としては登場していません。そうこうしているうちに、紙の本と同様の電子書籍、電子コミックが登場し、それこそがデジタルによる本の技術革新…というのは、少し寂しい気もしています。いまのところ「デジタルでなければ表現できない本のスタイル」には至っていない…と、僕は思っています。


○ 知識に重さはないはずなのに、本になったとたんに重さを感じる。

 本に対する不満のひとつに、その[重さ]があります。紙を使っているのだから重たいのはあたりまえだろう!って怒られそうですし、一方の業界からは、だったら電子書籍端末に電子書籍をいれれば、何冊いれたって重さは増えない!っていわれそうです…が、では「紙の本は軽量化に取り組んだか」といえば、それはほとんどありません。判型(本の大きさ)こそ、単行本や新書、文庫版といったあるていの規格サイズにこそなりましたら、ページに使っている紙、表紙、本全体の軽量化に取り組んだということは耳にしていません。これはとりもなおさず、輸送費や倉庫の重量に耐えられる…といったことにも繋がるので、歓迎すべきことだとおもいますし、個人の本好きが本の重さでアパートの二階の床が抜けた…というニュースも、ごくたまにですが耳にします。先日も地元中学生のキャリア教育の一環として図書館の仕事を体験してもらいましたが、その時の感想に「意外と重労働なんですね」とも言われてしましました。
 本に書かれている文字も写真も図も、そこから読み解ける知識にも物理的な「重さ」はありません。しかしそれが「本」になったとたんに重さを持ち、それが当たり前として軽量化に取り組むこともなく今日に至ったことは、すこしだけ悲しく思っているのです。


○ 本はこの百数十年、記録容量に大きな変化はない。

 パソコンの世界には「フロッピーディスク」という記憶媒体があった。さらにその前のマイコンの時代にはカセットテープも使っていたこともあった。フロッピーディスクには8インチ、5インチ、そしてプラスチックケースに入った3.5インチがあり、比較的3.5インチフロッピーディスクは、2HD 1.44MB(メガバイト)の時代が長く続いた。同時に大容量には、MO(エムオー)640MB やZIP(ジップ)750MBなどが登場したり、CD-R 740MB などの書き込み可能なディスクも登場してきた。
 そうこうしているうちに、デジタルカメラなどの登場により、磁気記憶装置からシリコンチップへの記憶媒体が登場し、昨今ではUSBメモリやSDカードなどで、8GB、16GB、32GB、64GB、128GBなど…3.5FDの時代からは、恐ろしいほどの大容量化が進んだ。しかも、しかもである。大きさは1/10なんてもんじゃない。

 例えば、3.5インチフロッピーディスクの容量を縦横1.2cmの1.44㎠と仮定すると、1GBは縦横32cmの面積=1,024㎠になる。USBメモリやSDカードの4GBや8GB、16GBなどは、この1,024㎠が4面、8面、16面もあることになる。しかもこれらの物理的サイズの比較をすると左から3.5インチFD、SDカード、microSDカードである。デジタル系の業界がこの数十年間にこれだけの記録容量を激変させている一方で、紙の本の記録容量には…百数十年間大きな変化は、無い。

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○ 本を読むには時間がかかる

 本好きの人には当たり前に聞こえるかもしれない。だが本を読まない人…出版マーケティング的には「未開拓の潜在顧客」の多くは、本を読まない理由に「読む時間がないから」と答えている。それに対して本を作る側はどうしているだろうか。短時間で読める本を作る努力や創意工夫をしているのだろうか? 例えばデッサンや絵画、彫刻・彫塑のジャンルでは、「まずは大まかに全体像を捉え」「それから徐々に細部を描き/作り」「最後は丁寧にディティールを仕上げる」くらいの段階を踏む。中にはいきなり材木から指先を削り出す彫刻家やいきなり細部を描き出す画家もいるにはいるが、ごく希少な存在である。このように読書においても、一度ではなく、まずは全体像を把握、徐々に細部を読み、最後は一字一句を読んでいく…ような段階的読書方法だって有ると思っている。だが、残念なことに、そのような読書スタイルに対応した出版物は、みあたらない。(ビジネス書系にはあるかもしれないが)
 本のイノベーションのタネとして「読者に時間をかけずに本を読むための工夫」みたいなところに、技術革新はあるかもしれない…と、思っている。


○ 本を読んでも覚えていられない(忘れちゃう!)

 時間の無い中で、読書の時間を作り、一字一句丁寧に読むことができたとしよう。問題はその次だ。「読んだ内容をすぐに忘れてしまう」のだ。これは読者側の能力の問題…といってしまえば、それまでだが、もう一方で「記憶に残らない本を作っている」という感覚を持って欲しい。一度読んだら忘れない本。書いて有る内容…いやむしろ著者が伝えたい内容を読者が忘れないようにする工夫。そんなところに、本のイノベーションのネタが埋まっていると思う。
 場合によっては、読み終えても登場人物の…いや主人公の名前すら覚えていないこともある。読み終えたはずの本の内容を誰かに伝えたくても、読み終えたことは覚えていてもどんな内容だったかを人に説明できるほど記憶していない…のだ。
 人の記憶は不確かな一方で、とんでもない瞬間を記憶していることがある。雑誌のページをぺらぺらめくりながら、読み飛ばしたページの右上にあった絵が何か気になったのだけど、そのページを探せない…みたいなことが、僕にはある。パラパラとめくっているだけのページのはずなのに、特定の文字(キーワード)だけが目に入って記憶しているのだけれど、そのページを探すのにこれまた時間がかかったりもする。ぼくだけの症状なのか、他の人にもあるのかはしれないけれど、『ぱらぱらとページをめくるだけでも記憶に残る編集方法』がありはしないだろうか。
 また、記憶の濃淡/強弱…ここだけは覚えて欲しい。みたいな編集方法もありそうに思うのだ。


○ 僕たちは何のために読書をするのか。

 本を読み終えたことだけは覚えているけれど、主人公の名前も登場人物の名前も、いつ・どこで・だれが・なにを・どのように・どうした…いわゆる5W1Hを他人に伝えられるほど、読書をしても記憶しているわけでは無い。村上春樹の『ノルウェーの森』を読んだ人は、主人公の名前を言えるか自問してみるといい。
 さて、一方で読書は学びのためにする…ということも言える。知識や他人の経験を追体験するのもまた読書の役割だと思う。ただ本当に著者が伝えたい知識が、ちゃんと伝達できているのだろうか?いや、そもそも「知識」とは何かという定義すらあいまいではないか。いやいや世の中には「知識工学」といものがあってだな〜…と、あれやこれや。
 読了後、内容を覚えていないのはしかたがないと譲っても、知識として何が得られたのか…は、重要な問題だ。これはいわゆる「費用対効果」。本を買うにしても、仮に無料の図書館で借りるにしても交通費や時間などの労力をかけるわけだから、それに見合うだけの見返りがなければならない。
 一字一句暗記しなくてもいい、内容の5W1Hを誰かに伝えられなくてもいい。だけど『読んだことで知識を得る』ことができなければ、もう本などは買わない。
 そういう意味で、読了後『知識を得られる本』『得られた知識を忘れない本』そういう本を著者は書くべきだと思うし、編集し出版する側も、そこに本のイノベーションのネタが眠っていることを考えて欲しいと思っている。


あとがき

 実はなぜこんなことを書いたかといえば、とある人から「丸山さんも本を出したら〜」と言われたからなのだ。常日頃から「今の本には他の産業のようなイノベーションが無い」と言っているだけに、自分で出す本が、まったくのイノベーションの無い本だったら、もう誰も丸山の言葉に耳を貸さなくなるだろう。もし僕が書く本があるとしたら、少しでも従来の本とは違う「イノベーティブ」な部分を持っている本にしたい…と、思い立ったので、こんなことを書き出してみた。

 もちろん、印刷や製本、編集の製造サイドにおいては、版木から活字、写植を経てDTPへと大きな変化があったし、それにより生まれて没した産業があることも知っている(活字産業は写植産業によって消え、写植産業はDTPの登場によって消えました)。

 ここまで読んでいただいた人がいらっしゃったら、深く感謝いたします。
 本に対する愛と憎しみと屈折した思いをもちながら、この情報や知識や物語の世界に、まだしばらくはいる予定です。

ありがとうございました。


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by maruyama_takahiro | 2017-11-11 17:10 | 日々是電網 | Comments(0)

民主主義の学びの場にする指定管理者制度

 2003年(平成15年)、地方自治法が改正されて、それまで行政あるいは一部の団体にしかできなかった公の施設の管理運営が民間団体(営利企業や非営利団体など)にも解放される、いわゆる「指定管理者制度」が誕生しました。

 指定管理者制度(Wikipedia)

 この条文の改正による制度運用に関しては、いわゆる「スキーム」が国からは出されることはありませんでした。この法律改正をうけて、各都道府県および各市町村は、自分たちで制度運用方法を考えなければなりませんでした。その結果、ひとつの法律に基づく制度運用が、設置自治体ごとにバラバラ、同じ自治体でも公の施設ごとにバラバラ…という状況を生み出す結果になってしまい、どのような制度運用が正解なのか…は、結果をみてみないとわからない…という状況が生まれてしまったと思っています。

民間の営利企業が指定される場合、それまでの自治体出資により設立されたいわゆる「第三セクター」、そしてNPO法人などの市民団体…等々。法律上は個人ではなく二人以上の任意団体でも可能ですが、制度導入する事例ごろに、応募資格などが決められこれも自治体ごと/施設ごとに、統一されることはありません。
 さて、そんな「指定管理者制度」は、当初より現在にいたるまでいろいろと批判の対象になってきました。ことに「図書館における指定管理者制度の導入」に関しては、その最大の業界団体である日本図書館協会自信が、「図書館への指定管理者制度導入は、なじまない」と公式に声明を発表するに至って降ります。

公立図書館の指定管理者制度について(日本図書館協会)

 私たち、山中湖情報創造館およびその指定管理者であるNPO法人地域資料デジタル化研究会は、制度が施行された翌年の2004年(平成16年)4月の開館当初より指定管理者制度を導入した図書館として、今日まで4回の協定を更新し10年間事業を継続してきました。継続性に難あり!と言われた制度ではありますが今日までこれらたことは、多くの方々に支えられ評価された結果だと自負しております。

前置きが長くなりましたので、いよいよ本題。
実はこの「指定管理者制度」は、公の施設を住民自治による民主主義のあり方を学ぶ絶好の機会であると、私たちは考えています。ただ、そのためには設置自治体側も住民側も乗り越えなければならない課題が多い事は重々承知の上で、こんなモデルを考えています。

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行政(パブリックセクター)による公の施設(ここでは「公立図書館」をイメージしながら描いています)の管理運営モデルです。
これに対して、指定管理者制度を導入し、民間の営利企業が指定管理者となった場合は、このようになります。
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あえて、オレンジ枠の部分に「意思決定に参加できない」と書きました。
パブリックセクターにおいては、住民は教育委員会にクレーム言う事は可能です。また教育委員の方々を通じて、あるいは都道府県議会/市町村議会の議員を通じて、住民の意見を反映させることは不可能ではありません。
それに対して、民間の営利企業であるプライベートセクターが指定管理者になった場合、プライベートな民間企業の意思決定に対しては、住民の意見は反映されにくいのが実情です。もしも企業が株式を一般公開していれば、株主になって株主総会で質問するなどの関与はできますが、これはなかなかハードルが高いことです。逆にいえばプライベートな営利企業が指定管理者になった場合は、その点に十分注意することはひとつの手法と考えられるでしょう。
プライベートセクターである民間の営利企業が指定管理者になる場合に対して、NPO法人が指定管理者となった場合の図がこちら
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あえて、オレンジ枠の部分に「意思決定に参加できる」と書きました。
 ご存知のとおり、NPO法人は非営利団体(Non-Profit Organization)です。その活動に興味関心を持っている方ならどなたでも会員になることができます。むしろ正当な理由が無い限り入会を希望する人を拒むことはできません。当然その自治体の住民もNPO法人の会員になり、総会における議決権を有することも、理事に立候補することもできます。営利企業の株主になるよりもはるかにハードルは低く、意思決定に参加することができるのがNPO法人の特徴でもあります。
 このモデルから、地元の公の施設の指定管理者がNPO法人になった場合、住民を含め興味関心のある方ならどなたでも会員になり意思決定に参加することができるのです。逆な言い方をすれば、地元の公の施設が指定管理者を募集するのであれば、これこそ住民自治による管理運営ができるぜっこうの機会!と捉えて、地元住民がNPO法人をつくって応募することは可能なのです。

 それはまさに、住民自治による民主的な公の施設の管理運営モデル が、指定管理者制度を用いて実現可能になるということなのでは、ないでしょうか。しかも施設や設備などの初期投資や管理運営に必要な費用も指定管理料として支出していたく…など、市民団体が自発的に図書館や学習施設などをつくるのに比べてはるかに大きな規模で、はるかに安定した財源で、それが実現できるのが、この「指定管理者制度」なのだと考えています。

もちろん、NPO法人の経営、意思決定における合意形成の手法、などなどの課題はありますが、これらはじつは「民主主義のためのエクササイズ」にほかありません。
これまでの、行政に「おまかせ」民主主義や「おねだり」民主主義は、管理運営が民間企業になっても同様に「おまかせ&おねだり」になりがちですが、管理運営主体が自分たち自身になればそこに「合意形成」や「意志の反映」などは、《他人事》から《自分たち事》になっていきます。

山中湖でも当初は、そんなイメージで取り組んでいたのですが、僕たちは地元のNPO法人ではなかったこともあり、どうしても住民側からはそれまでの行政に対する姿勢が代わらなかった…ということがあったり、結果として地元の市民団体が分裂解散してしまったこともあり、結果とし私たちのNPO法人が10年間継続することとなりました。

 以上のように、指定管理者制度そのものは、市民団体が住民自治により公の施設を管理運営できる制度でもあるのです。これは今までの日本の官僚主導による民主主義のあり方を変えていく契機にすらできるものだと思っています。図書館の業界団体や社会教育関係の集まりの中で「指定管理者制度なじまない/ふさわしくない」という議論が大勢を占めているようですが、これこそまさに合意形成のあり方、住民自治のあり方を考え学ぶための「民主主義の基本を体験学習できるエクササイズ」にできることを、設置自治体側も、住民側も再考する必要があるのではないでしょうか。

諸外国の図書館においても、プライベートセクターである民間営利企業へのアウトソーシングに対しては反対する意見が見受けられますが、上記のような住民自治による公共図書館は、コミュニティ・ライブラリとして成立している事例が少なからずあります。

国が作った制度、地方自治体が運用する制度ではありますが、そこにこそ「住民自治による民主主義モデル」があることを考えていただければ、とてもうれしく思います。
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by maruyama_takahiro | 2014-07-23 09:56 | 日々是電網 | Comments(0)

「図書」のカタチ 



電子ペーパーによる「本(図書)」があたりまえになっていく時代に向けて、図書館はどうしていったらいいのか…なんてことを、少し考えてみると楽しいかも。

例えば…電子書籍としてのデジタルデータは、図書館内のストレージという書庫あるいは雲の上(クラウド)に保存されて、利用者さんの求めに応じて、こうした電子ペーパーや閲覧端末に『召還』されて来る…という感じ、とかね。さしずめ図書館司書は「コンテンツを召還する魔法使い」かな。
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by maruyama_takahiro | 2011-05-28 12:26 | 日々是電網 | Comments(0)

天外伺朗氏 in TEDxTokyo2011



土井さんには、NEWS & QuarterL 時代にお世話になりました。
天外さんの著書に登場したバースコーディネータさんにもお世話になりました。
「フロー理論」って、面白いね!

天外司朗著書

運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章

天外 伺朗飛鳥新社

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チクセントミハイ著書

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

M.チクセントミハイ / 世界思想社

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by maruyama_takahiro | 2011-05-22 02:33 | 日々是電網 | Comments(0)

石井裕先生 in TEDxTokyo2011



MITメディアラボ副所長の石井先生によるTEDxTokyo2011でのプレゼンテーション。
先ほど終わったばかりなのに、すでに公式YouTube動画でアップされてます。

ぜひご覧ください。

AXIS ( アクシス ) 2009年 12月号 [雑誌]

アクシス


メディア・リテラシー―世界の現場から

菅谷 明子 / 岩波書店

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未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―

菅谷 明子 / 岩波書店

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by maruyama_takahiro | 2011-05-21 18:42 | 日々是電網 | Comments(0)

Apple iPad2 を発表!

やはり書かねばなるまい。
Apple社は、ついに iPad2を発表した。しかも病気療養中といわれたスティーブ・ジョブズ氏自らがプレゼンテーションを行なったのである。さらにその模様はApple社のサイトだけではなく、YouTubeにもApple社のチャンネルとしてアップされているので、リンクしておく。



昨年は、実父の逝去もあったりした5月。
初代iPadをその発売日にゲットして、山中湖で開催されるロードレース大会には、プーさんの着ぐるみでiPad応援をしたものだった。ちょっと懐かしい。

3月25日正式発売ということなのだが、すぐに飛びつきたい気持ちをおさえつつ、まずは、代表を務めている Code4Lib JAPANのトレーニング用機材として発注/購入しなければなるまい。この日が来るまで使わずにとっておいた資金があるのだ。それにしても黒いのにしようか、白いのにしようか迷うので、黒5台、白5台ということで手を打てたら…いいなぁ。

iPad2 雑感

・iPad1とiPad2:これはいわばファースト・ガンダムとガンダムMark II くらいの違いだろうなぁ…と思っている。Zガンダムほどの進化はない。それでも両面のカメラという大きな機能追加は、今後のiPadのモデルとしての完成を見る思いがする。

・iMovieとGarageBand: カメラがついた事でiPad2単体で写真や動画が撮影できる。なので動画編集ソフトも出して来た…ということだ。iMovieは動画編集としてさまざまな機能を盛り込みつつも、比較的簡単に使いこなす事ができる。これはとても良いソフト。そして…さらに良いソフトがGarageBandだ。このソフトひとつあればiPadは万能楽器として機能する。音楽編集ソフトである以上に[楽器ソフト]なのだ。

・噂されていた MobileMe(Apple社のクラウドサービス)に関しては、何もアナウンスが無かった…これはちょっと残念。無料になるとか、取りざたされているが、僕の場合は毎年2月更新なので…この時期になると…あぁ、9800円がぁ〜…という気持ちになったりもする。ただ、Mac、iPhone、iPadを持っている人にはぜったい MobileMe はおススメ。高いけどおススメ!

図書館とiPad2

 さて…このiPadをどのように図書館サービスに組み込むかが、僕にとっても最大の課題。先日も盛岡の岩手県立図書館にて都留文科大学とのコラボレーションによるiPadワークショップを開催してきた。都留文科大学の図書館では館内でiPadを学生に貸出しているという。なんとも先進的な取り組み。まずはiPadの基本操作や電子書籍の閲覧などの使い方を教えるのだが…それ以上に、

 ・メディアリテラシーの教材としてのiPad
 ・図書館サービスアイテムとしてのiPad
 ・iPadは図書館が持つべきなのか、個人がもつべきなのか…といった根本的な問題

…等々、いろいろあるのだよ。

図書館で自炊支援サービス

 iPadなどのガジェットを持つとやってみたくなるのが、「自炊」ではないだろうか。
 自分が所有している本を
 ・断裁してページをバラし
 ・ScanSnapなどのドキュメントスキャナで取り込み
 ・PDF/検索可能なPDF化してiPadに取り込む

 これはやってみると実に便利。僕がつかっているMacBook pro では、保存されているファイルを、内容でもファイル名でも検索できる。自炊により電子書籍化したファイルをパソコンに入れておくだけで、実はマイ・デジタル・ライブラリーが出来てしまうのだ。これは本当に衝撃的。

…というわけで、僕自身はiPad2はお金の算段ができるまでペンディング。
(…ひとつのうわさで、秋にはiPad3が出るとか出ない…とか)

それにしても…iPadを図書館サービスに組み込むには…どうしたらいいだろう?
そのあたりを、じっくりと考えて取り組んでいきたい。
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by maruyama_takahiro | 2011-03-04 00:25 | 日々是電網 | Comments(0)

物語の力(「私」という物語)

今日は「物語の力」をデジタルやネットワークとは違う視点で。

「私」という物語
 人は誰でもどんな人でも、一生にひとつの物語を紡ぐ事ができる。それは「私」という物語だ。どこかの小説家が、文書教室風な場で語る事らしいが、ぼくもそうだと思う。この世に生をうけて、あの世にいくまでの、ほんの数十年間の間。これは「命が紡ぎ出す物語」なんだ。そう僕は考えています。そしてまさに、丸山高弘物語の50年目に突入するいま、この先どこで物語が終わるのか…いやいや、まだまだこれからがクライマックスだぜ!と激動の物語を生きるのか…どちらにしても、人生=物語説は、真実だと考えている。

三つ子の魂百まで
 そんな諺(ことわざ)がある。双子や三つ子ちゃんの話ではない(あたりまえだと思うだろうけど、僕自身けっこう大人になるまでほんとうに三つ子ちゃんのことだと思っていた。代表格はトン吉、チン平、カン太、おやつあげないわよ!)。
 この三つ子は、三歳児のことを指す。三歳あたりで培った感覚、経験、記憶…それは意識する/しないに関わらず百歳まで影響するのだ…ということを経験知として諺化したもの。これはこれでたぶんある程度は正しいのだと思う。この言葉を別のアプローチからは「人は三歳くらいに、自分の人生のシナリオをほぼつくってしかう」とか「三歳くらいに、自分という物語の主人公のキャラクタ設定を作ってしまう」という意見もあるようだ。
 そう。いわゆる物心つくときに、この先の人生を生きるために「私という主人公の性格設定」は不可欠。親との関係においても、兄弟姉妹や、親戚や、保育園/幼稚園などの集団生活などにおいても、まずは「自分というキャラクター」を形づくっておくことは、生きる知恵として充分に考えられる。たぶん、この諺に込められた想いは、そんな意味なのかもしれない。

三つ子でつくるキャラクター
 三歳児が突然自分と言うキャラクター設定が出来る訳ではない。当然ながら、その「モデル」の存在が欠かせないのだが…三歳児までが出会うモデルとなるキャラクターは、当然ながら「親」であり、「兄弟姉妹」である。この限られたモデルの中から取捨選択しながら、自分というキャラクターを設定しなければならないのは、いささか不自由である。さすがに三歳児はそのことを充分に心得ているようで、このあたりから自主的に「お話し読んでー」が始まる。もちろんはやい子は片言が話せるようになると言い始める。自分の言葉が発せないうちからも、実はこの[キャラクター設定モデル要求]は始まっていたりする。という理由のもとで、僕はブックスタートを始めとした乳幼児からの親による読み聞かせは、その子自身の「キャラクター設定モデルづくり」に欠かせない栄養素だと考えている。選択肢が多いほど、組み合わせる性格が多いほど、自分自身のキャラクターづくりにはバリエーションが増える。またこの時期のテレビ番組のヒーロー/ヒロインからの影響も実は少なくない。幼児期に熱中したヒーロー/ヒロインによる[正義感のタネ]は、三つ子の魂を作る上でも必要な栄養素のひとつなのではないか…と、考えている。

三つ子までのキャラクター設定
 正直なところ三歳児までに…と限定する根拠はないのだが、親が子どもにできることとして

1.お腹の中にいるときから話しかける/物語を聞かせる。
2.生まれてからもできるだけいろいろな物語を聞かせてあげる。
3.言葉とか知恵とかよりも、お話しのバリエーション(バランスのよい栄養)を与えてあげる
4.子どもは、親が自分のために時間を割いてくれることがまず嬉しいものだと思って接する
5.子ども自身が持ち始めるヒーロー/ヒロイン像を大切にする。

まぁ、そんなことをしているうちに、三歳児ながらも「僕は正義の味方」とか「私は小さい子にやさしくするお姉さん」とか、そんなキャラクター設定をし、それは恐ろしい事に百歳まで影響したりする。
だからこそ、身近な大人(親の場合が多いが親に限定する訳ではない)が、子どもたちに古今東西、多種多様な物語を読んで聞かせてあげることは、とっても大切なことなのだと、僕は考えている。

キャラクター設定が本人の意思だけではないという問題点
 このキャラクター設定には、本人の意思が最優先されることではあるのだけれど、実はこんなものが影響したりする。
 1)親との関係性、親からの期待に応えるキャラクターづくり
 2)兄/姉との関係性、弟・妹としての役割づくり
 3)弟/妹との関係性、兄・姉としての役割づくり
 4)近所の子どもたち集団、自然に生まれる上下関係の中での役割づくり
 5)親戚/親類/縁者との関係の中でのキャラクターづくり
 人間はどんなに小さな子どもでも社会性の中で生きていることには変わりないので、どうしてもその関係性の中で、自分が望むと望まざるとに関わらず何らかの役割を演じるキャラクターを作ってしまう。そして一度できてしまった関係性の中でのキャラクター設定は、本当に恐ろしいくらいに…たぶん諺通り百歳まで変わらないのだ。(ほんとに、実に恐ろしい事です)

このキャラクター設定は物語なのだ
 さて、ことわざをそのまま受け取れば、三歳児につくった自分というキャラクター設定は百歳まで影響し続ける…となりますが、考えてもみてください。これは自分自身で書くシナリオなんです。当然ながら自分自身で書き直すこともできるのです。そのことにまず気がつくことが大切です。これも「物語の力」といえるでしょう。自分自身の物語は、自分自身で書きながら私の人生を生きている。そう意識できることが何よりも大切。そう意識できれば自分の力で書き換えることも不可能ではないのです。
 ただ…前述のとおり、関係性の中でできてしまった役割づくりは、自分自身ではなかなか書き換えることができません。書き換えが難しいなぁ…と意識するところからはじまりますが、本当に全面的に書き換えが必要だと思ったら…例え、親兄弟親戚であっても、いったん距離を置く事も大切です。
 正直なところ、これを僕は実感しました。どうしても親戚が集まる場所では、その関係性の中での[役割キャラクター]が出て来てしまいます。同級会などでもそう。場合によっては前の会社の上司や部下などと出会ってしまった場合もそう。その時の[関係性の役割キャラ]が出て来てしまうのです。

人生は選択の連続、物語もまた選択の連続
 私という人生は物語である。そして私と言うキャラクターを設定したのも私自身である。そんな中で、様々な状況で、場面場面で決断をし、人生を生きるわけなのだけれど、ここで「物語の力」がとても大切になる。
 これは、図書館という場が『人生のQ&Aに満ちている』と感じてから、なお一層強まって来た。親友の彼氏を好きになっちゃった…。会社存亡の危機。大切な試験に落ちてしまって人生絶望のどん底…などなど、極端な出来事もあれば、ごくごく日常的なこともあるけど、古今東西、老若男女、津々浦々…の物語をくまなく探せば、私が今直面している課題を解決するためのヒントが書かれている物語がある。私のこの状況は人類史上私がまったくの初めて!なんてことは、まず無い。と思うほど、なのである。極論すれば、史実も創作も神話もドキュメンタリーもありとあらゆる物語には、「これからを生きる人のための人生のヒント、人生のQ&Aが書かれている」と僕は確信している。

 正直なところ、今の図書館ではそのための検索方法、検索手段を持ち合わせていはいない。ただ、今後は「文献を探すのが図書館」という枠から離れて、「私が直面している状況に似ている物語を探して、その登場人物たちはどう解決したの、さらにどんな課題に直面したの?」という問いかけに応え相応しい物語を探し出すお手伝いをしていきたいと考えている。

 「物語」は、単純に文学としての芸術鑑賞でもなければ、レクリエーションとしての時間つぶしではない。そこには「人生のQ&A」に満ちあふれた世界があるのだ。

 僕は「物語の真の力」は、そんなところにあるのだと、考えながら図書館の仕事をしていたりする。
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by maruyama_takahiro | 2011-01-08 00:39 | 日々是電網 | Comments(2)

物語の力(「物語」ってほんとうにすごいですねぇ)

地域における文化資源を情報化し、相互に関連づけながら参照できるシステムとして「多種類情報資源相互参照システム」を考案し、その改良型によってとてもシンプルなデータベース構造(アーキテクチャー)ができたのは良いのだが、この記述が実にめんどくさい。

例えばこんな具合

 人物:丸山高弘ー(指定管理者館長)ー施設:山中湖情報創造館
 人物:丸山高弘ー(副理事長)ー団体:NPO法人地域資料デジタル化研究会
 団体:NPO法人地域資料デジタル化研究会ー(指定管理者)ー施設:山中湖情報創造館
 団体:山中湖村教育委員会ー(設置者)ー施設:山中湖情報創造館

とこんなのが、果てしなく続く。
ところが…である。ふとあるときに気がついたのです。
上記の表現は、

 山中湖村教育委員会が設置する山中湖情報創造館は、NPO法人地域資料デジタル化研究会が指定管理者となり、同団体の副理事長である丸山高弘が、指定管理者館長をつとめている。

 というひとつの文章で表現できてしまうのだ。物語による記述方法によって、人物も団体も施設も,その他様々な情報資源を、相互の関係づけも記述しながら組織化できてしまう。しかも多少矛盾があろうが記述そのものは成立してしまうのだ。
 この事に気がついたとき、「物語」の持つ情報組織力のすごさに、あらためて気がつくことになったのです。

以下は、Wikipediaからの引用。今年の大河ドラマ「江(ごう)」である崇源院からの抜粋

崇源院(す(そ)うげんいん、天正元年(1573年) - 寛永3年9月15日(1626年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。位階は従一位。
浅井長政の三女。母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいる。
最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。二度目の婚姻相手は豊臣秀勝で、娘の完子が生まれる。三度目は江戸幕府二代将軍徳川秀忠と文禄4年(1595年)再々嫁し、秀忠の正室(継室)となる。この時、江が徳川秀忠と再々婚したことで、娘の完子は伯母の淀殿に引き取られ養われる。
また、第109代明正天皇の外祖母でもある


この文章を、多種類情報資源層ご参照システムで記述すると、こうなる

 人物:崇源院ー(よみ)ーふりがな:す(そ)うげんいん
 人物:崇源院ー(生年月日)ー日付:天正元年(1573年)
 人物:崇源院ー(没年月日)ー日付: 寛永3年9月15日(1626年11月3日)
 人物:崇源院ー(位階)ー単語:従一位
 人物:崇源院ー(三女:父)ー人物:浅井長政
 人物:崇源院ー(三女:母)ー人物:市
 人物:市ー(娘:父)ー人物:織田信秀
 人物:市ー(妹:兄)ー人物:織田信長
 人物:崇源院ー(末妹:長姉)ー人物:淀殿(茶々)
 人物:淀殿(茶々)ー(側室)ー人物:豊臣秀吉
 人物:崇源院ー(末娘:次姉)ー人物:常高院(初)
 人物:常高院(初)ー(正室)ー人物:京極高次
 人物:京極高次ー(猶女)ー人物:鷹司孝子
 人物:崇源院ー(婚姻:一度目)ー人物:佐治一成
 出来事:離縁ー(によって)ー人物:豊臣秀吉
 人物:崇源院ー(婚姻:二度目)ー人物:豊臣秀勝
 人物:崇源院ー(子:娘)ー人物:完子
 人物:崇源院ー(婚姻(正室):三度目:文禄4年(1595年))ー人物:徳川秀忠
 人物:徳川秀忠ー(役職)ー単語:江戸幕府二代目将軍
 人物:完子ー(引き取られる:伯母)ー淀殿
 人物:崇源院ー(外祖母)ー人物:明正天王(第109代)

と、このくらいの記述が必要になる。それをWikipediaでは、あっさりと[物語]として記述できてしまうのだ。

ただ残念なことに、「物語」による情報の組織化には、不都合もある。

1)機械的に読み解くことが困難。
 たとえOCRで文章をテキスト化できたとしても、それが何を表しているのか、それぞれはどういう関係性を持つのかを、機械的に読取り判断することはまだ難しい。しかも、関係性に矛盾が生じる場合すらある。

2)時系列、場所等の飛躍は激しい
 物語の時系列はとても優柔不断。冒頭に時系列的には結末があり、次の章から時間をさかのぼって記述される場合もある。場面においても、とつぜんまったく離れた場所での物語が何の予告も無く割り込んで来たりする。

 などなど…
 「物語」によって組織化された情報は、人が読み解かなければ、それぞれの単位や関係性などを読み解くことは、今のデジタル技術ではまだ難しい。

とはいうものの、この「物語」の持つ情報組織化の融通性(フレキシビリティ)、多様性、柔軟性、可搬性、継承性、再現性等々において、まことに優れた機能を持っている…と、僕は考えるのです。

※そしてさらに、物語による情報の組織化と、この多種類情報資源相互参照システムは、思いも拠らないカタチで、最新のWeb技術に登場することになりそうなのです。正直なところ僕もびっくり!…キーワードは「セマンティック」
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by maruyama_takahiro | 2011-01-05 23:43 | 日々是電網 | Comments(1)

物語の力(多種類情報資源相互参照システム)

「物語化」という情報の組織化手法に気がつく事ができたのは、実はとある地域情報提供のためのシステムを開発している時でした。

かなり昔、「SuperINDEX(スーパーインデックス)」というシステムのコンセプトを考えたこともあったのですが、それは企画だけでシステム化するには至らず、具体的に作り始めたのは「すたまオープンミュージアム」という地域資源を博物館のように散策できる電子博物館のようなサイトでした。

原型となった「SuperINDEX」
 今思えば、ひとつのパスファインダーのようなシステムでした。あるテーマに関して、関連する書籍、論文、場所(研究施設等)、人物(研究者/著者等)、イベントをひとつの検索結果として表示するものです。

-------
テーマ :ヤマネ
-------
関連図書:
研究論文:
関連施設:
研究者 :
イベント:
-------

をひとめで見る事ができるもの。さらには、関連図書にフォーカスするとその関連書籍が、ヤマネ以外にも関連づけられているテーマを持っているとか、イベントであればそのイベントの主催者や場所(施設)などともさらに関連づけられている等々、どこかWikipediaにも似てなくもないですが、基本的にはデータベースとしての整合性を持ったシステムとして考えていました。


すたまオープンミュージアム[実装]
 このコンセプトを温めながら、自分自身でWeb-DBシステムを作れるようにスキルアップしながら、1999-2000のいわゆる第一次デジタルアーカイブブームの流れと緊急雇用対策事業交付金の時代に、この事業に取り組むことができました。

 基本はSuperINDEXで考え方コンセプトを、FileMaker pro(当時はWebDB機能がついたばかりで、制限事項が少なかった)と、開発にクラリス HomePage Proを使う事で、比較的簡単に作る事ができた。それでもCDMLという独自の記述方式でしたが、HTMLに比較的安易に埋め込むことができました。

 この時は主題テーブルをおかず、
 文化財テーブル
 場所/施設テーブル
 人物テーブル
 団体テーブル
 イベントテーブル

などの、地域情報資源の種類毎にテーブルをつくり、それらを組み合わせの数だけリレーショナルを組むという、けっこうな力技で構築しました。
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イベントカレンダーのシステムも自前でつくったり、地図を組み込むのにオープンなGISはないものか…と探してみたり…、そんな時期でした。

データベースと写真、動画、音声そしてQuickTimeVRのパノラマ(360度見渡せる)とオブジェクト(物体を回転させることができる)を使いながら、神社仏閣やフィールド、公園などのパノラマ画像と、土器などの文化財のVRを埋め込むなど、自分としてはかなりの出来だったかと思っています。

残念ながら、2004年3月までの契約(その4月から山中湖情報創造館勤務)があって、後任に引き渡したのですが、その後の町村合併に伴う庁内ネットワークの再構築などもあったりして、結局現在では、データベース機能を排除してかろうじて動画を見ることができる程度になってしまいました。

すたまオープンミュージアム改
このシステムを作っているなかで、当初の情報資源の種類別テーブルとその組み合わせの数 (n*(n-2))/2個のリレーショナルを組むという、力技的なシステム構築を続けていく中で、終盤の頃にはその改良型のアイデアが生まれていました。それが「多種類情報資源相互参照システム」です。

 1.多種類情報資源をコアテーブルと種類別テーブルに別けます。
 2.コアテーブルと種類別テーブルのリレーションを組みます。
 3.コアテーブルとコアテーブルとのリレーションを組みます。

a0001068_0455879.jpg


 このシンプルな構造で、多種類の情報資源を相互に参照するシステムの構築ができるようになるのです。これによって、多種類の情報資源の関連づけが1つのリレーションの組み合わせによって構築できるため、こんどは[関連性の種類]に手を入れる事ができるようになります。すなわち、単に[関連性がある][リンクしている]というだけでなく、どのような関係性なのか。人物と人物は[親子]なのか[兄弟]なのか、[ライバル]なのか[師弟]なのか…等々。

ここまでの物事の記述を、データベースシステムで構築してみるてはじめて、情報資源と情報資源との関係性によって、いろいろなことが記述できることが判ってきました。反面、整合性についても気になる様になりました。例えば、今年の大河ドラマの「江(ごう)」を例にとれば、浅井長政の[娘:三女]であるだけでなく、時期によって嫁ぎ先が変わっています。それを整合性をもったデータベースシステムで構築するとなると…関係性に対して時間という要素を入れたりするなどそれはもう大変。

ところが、これらの情報資源と情報資源の関連性を、あっさりと表現できる手法がある!ということに気がついたのです。

それが、すなわち「物語化」という情報の組織化手法なのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-01-04 00:46 | 日々是電網 | Comments(0)

物語の力(情報の組織化手法としての物語化)

年末年始、実家に帰っておりまして、紅白歌合戦などをみておりました。

印象的な歌のひとつに「歌の力」久石譲作曲という楽曲がありましたが、それを聞きながら、「物語の力というものあるよなぁ…」などと、いっぱしの図書館長みたいなことを大晦日にコタツミカンでテレビを見ながら思っていました。
http://itunes.apple.com/jp/album/id345466182

…そう「物語の力」
昨年あたりから、少しずつですが言葉に出てくるようになり、僕自身の中では図書館の定義すら「本を貸すところ」ではなく、「情報・知識・物語に接する場」という定義変更をしていきたいと思っているほどなのです。

僕にとって、「物語」を意識する様になったのは、実は情報の組織化という分野からなのです。情報建築家のリチャード・ソウル・ワーマン氏によれば、情報の組織化は5つの手法でできると示されています。

 1)Location(位置)
 2)Alphabet 順(日本語的には50音順)
 3)Time(時間)
 4)Category(カテゴリー)
 5)Hierarchy(ヒエラルキー:順序/序列)

これらは、情報さえ整っていれば、[機械的に組織化ができる]という要素です。
大胆にも僕はこの5つに対して、さらに2つの組織化を加えています。

 6)グルーピング(セット/グループ)
 7)物語化

 グルーピングは、何らかの意図をもって集められたもの。
 そして、重要なのがこの「物語化」なのです。

文学やいわゆるナラトロジー(物語論)から入ったのではなく、情報の組織化手法の一つとして「物語化」があることに気がついたことは、神様に感謝!という気持ちでした。

実は、この「情報の組織化手法としての物語化」に気がつくまでの経緯がありまして、おいおいそんなことも書いてみようかなぁ…などと、考えております。

【参考文献】

情報選択の時代

リチャード・S. ワーマン / 日本実業出版社

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それは「情報」ではない。―無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン

リチャード・S. ワーマン Richard Saul Wurman 金井 哲夫エムディエヌコーポレーション

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by maruyama_takahiro | 2011-01-03 02:28 | 日々是電網 | Comments(0)