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DBiE(データベース イン エデュケーション)の提案

 NIE(ニュースペーパー in エデュケーション)「教育に新聞を」という学習手法がある。学校教育に新聞を取り入れ、“今”の社会を学習するものである。新聞をあたかも教科書のように捉えるのではなく、社会の「ひとつのモノの見方」として新聞をとらえ、いわば新聞というメディアをクリティカル(批評的)に考える「メディアリテラシー教材」としてなら、それもよいと思う。まちがっても、新聞に書いてあるから、活字になっているからそれは「すべてが正しい」などと、とらえてはならないはずである....のだが....。
さて、もう一方にITをとりまく教育活動のひとつとして、様々な試みが行われているが、ひとむかし(いや、ふたむかしくらいかな)のCAI(コンピュータ•アシステッド•インストラクション)的なものでよしとしている例も、まだ多く見受けられる。それが悪いというのではなく、それも全体の中のひとつであり、それがすべてではないということなのだ。
 そこで、丸山@山中湖としては、学習にITを活用する手法として、また調べもの学習や総合学習などとITとの実践として、DBiE データベース•イン•エデュケーション(教育にデータベースを)を提案したい。それは百科事典や図鑑などの書籍も、活用の対象とします。学習あるいは問題解決の手段としてデータベースを使うことを学習する機会をつくるのと同時に、自らもデータベースをつくる作業を通じて、情報に対するスキルアップを図ることができるのではないかと、考えています。今後、有料/無料を問わず様々なオンラインデータベースのサービスが広まり始めているので、ぜひこの機会に、DBiE (DataBase in Education データベース イン エデュケーション)を提案します。
 ちなみに....山中湖情報創造館では、ジャパンナレッジが使えます。
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by maruyama_takahiro | 2004-07-28 11:26 | 日々是電網 | Comments(0)

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その6

−情報は力なり−

 私は現在、NPO法人の職員として、山中湖情報創造館という公設民営の公共図書館で働いている。指定管理者制度により公共施設も民間が運営できるようになり、図書館における全面的な運営は全国でも初めて事例らしく、視察団体も数多い。
 そんな視察団体の中でも「我が町村でもこのような図書館を」という方や、「指定管理者制度を導入してNPOに運営をまかせれば、すべてうまくいく」的な考え方を持たれている方も少なくない。しかし、ちょっと待って欲しい。
 カタチから入るまえに、「なぜ図書館が必要なのか」の議論がなされていないように感じるのである。
 先日も、地元の小学生たちの社会科見学で、ちょっとした質問時間が設けられた。「お休みはいつですか」「働いている人は何人ですか」という質問の中に、こんな質問があった「図書館はどうしてあるんですか」と。

 先に、司令官の話を書いた。戦場から時々刻々と寄せられる「情報=情況報告」と、自分の持てる知識や経験を照らし合わせて、情況を認識し、判断し、作戦を立案し、実行命令を出し、行動に移すと。そして責任者はこの司令官であり、命令を実行する現場の兵士は、その命令を忠実に実行するだけである、と。
 これは軍隊の例ではあるが、昨今のいわゆる『自己責任社会』においては、まさに個人一人ひとりの中で、同様のことが行われているのである。一人の個人であっても、必要な情況報告を入手し、判断し、自分自身に命令を下し、実行し、そして責任もまた自らが背負う。一見あたりまえのようであるが、ここ数年この『自己責任』が大きなうねりとなって、私たちの暮らしに影響を与えている。
 例えば、現在の医療機関では、インフォームドコンセント(納得医療)があるが、これは従来医者が追っていた責任を、患者側が責任を負うための方法論なのである。簡単にいえば、医者が「切ってもよいか?」と訪ね、患者に判断をゆだねる。「切ってもよい」といえば、切った結果の責任は、医者ではなく、患者自身にある。まさに『自己責任』である。この判断を委ねられた患者は、何をもとに、情況認識/情況判断し、実行命令を出せるのであろうか。必要な情報=情況報告が十分に得られぬままに、決断を迫られることほど、恐ろしい事は無い。
 自動車を購入するときにも、メーカーのカタログやメーカーや販売店での試乗だけで判断してはいないだろうか?メーカーのカタログは客観的な情報というよりも広告と思った方がよいし、販売店では客である私たちを「その気にさせる雰囲気」を作っている場である。客観的な情報は、実は何一つないのである。利害関係のない第三者による商品テスト情報は、米国などの『自己責任先進国』では、かなりあたりまえの情報として出回っているようである。「選んだのはあなた」だから「責任もあなた」。ただし、入手できる「情報=情況報告」には、雲泥の格差がある。この情報入手機関として担保されているのが、米国の公共図書館なのである。少なくとも今後図書館建設を考えている自治体もしくは市民団体も、単に読書の場としての図書館をとらえることなく、到来する「自己責任社会」に対する「情報入手保証機関」としての図書館を考える必要がある。そして「情報入手保障機関」として、我が自治体にはどのような施設が必要であるかの議論を重ねていただきたい。そしてその機関の運営が、従来の公務員制度の中では困難であると予想される時にはじめて、指定管理者制度による民間委託の検討があるのではないだろうか。また、公務員でさえ困難な仕事を受託する民間団体/民間企業の育成もまた、必要なことである。
 情報は力である。「自己責任社会」を担保する「情報入手機関」としての図書館。そして一人ひとりが必要とする情報を入手できることを保障し、住民の総合的な「情報力」を高め、自らが判断し、行動し、責任を負えるようになる。
 少子高齢化社会。まちの活性化。対処両方は様々だろうが、きちんとした図書館をつくることは、地域社会における漢方薬のように、じわじわと住民の体力(生きる力)を高めていくものと考えるのである。
 
※情報力:情報の入手、ふるい分け、判断材料として情報を活用できる総合力。広義のメディアリテラシー(=媒体素養)。
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 08:01 | 日々是電網 | Comments(0)

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その5

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その5
−可編集化:エディタブライズ (Editablise / Editablize)−

 食玩をご存知だろうか。最近のコンビニエンスストアで売っている「お菓子付きオマケ」である。アニメのキャラクターや、恐竜や生き物。戦車や昭和の道具など、様々なである。私自身も好きで、気に入ったシリーズがあれば「大人買い」することもある。塗装済み、組み立て済みであるから、ものの1〜2分で目の前に精密な模型が出来上がる。出来上がった模型を手に取っては、「ブーン」などといって飛ばしてみたりもする。そんな時にふと思うのだ。これも情報化のひとつ? いや、「情報化」という概念のもうひとつ上の「上位概念」があるのではないだろうか、と。
 さて、なぜ人は情報化するのか。
 一言でいえば、現実の有様を、個人でも編集可能な状態=可編集 (Editable) 化(Editablise / Editablize)にしたいからなのではないだろうか。そう考えると、情報化も食玩やプラモデルのような模型も、実は同じことをしていると感じるのである。

 自衛隊や軍隊、あるいは災害発生のシミュレーションなどで、『図上演習』ということがよく行われる。地図を広げ、それを取り囲みながら、様々な試行錯誤を繰り返し、問題点を明らかにするとともに、解決法を見つけ出す作業である。これもまた、現実の有様を可編集化(Editable)するものである。その図上に模型を並べることもあるだろう。あるいは石ころを戦車に見立てて、様々なシミュレーションを行うこともあるだろう。
 
 つまり、情報化とは現実を可編集化することに他ならず、検索/抽出/並べ替えなどの編集技法を用い、現実を把握することなのではないだろうか。
 そう。重要な事は「情報化=デジタル化/IT化」ではない。情報化とは、現実を可編集化するひとつの手法なのである。
 可編集化することで、様々な編集あるいはシミュレーション(試行錯誤)を行いながら、現実への対処法を組み立てていくこと。これは『情報化』においても『模型化/ミニチュア化』においても、同様なのである。
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 08:01 | 日々是電網 | Comments(0)

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その4

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。その4
−アナログとデジタルの大きな誤解−

 「私はアナログ人間だから..パソコンはちょっと...」というような事を耳にすることがある。パソコンが苦手なことを、もっともらしい理由をつけているようにも思うが、アナログはアナログなりの長所や短所、デジタルはデジタルなりの長所や短所を知った上での、「アナログ人間」ならば、それはそれで存在する価値があると思う。
 多くの人は、「デジタル」の反対語(対をなす言葉)として「アナログ」をあげる。これはこれで間違いないのであるが、その場合の「アナログ」を指す対象に、大きな誤解がある。
 結論から言えば、「デジタル」と「アナログ」の違いは、『情報化の手法』という方法論において対をなす言葉なのである。これを「アナログ」を実物、「デジタル」を情報。と考えている人も少なくないのである。
  よく考えてみよう。例えば図書館において、書架(本棚)に並んでいる図書が『実物』である。この『実物』である本に対して、「目録カード」という情報化を行う。コンピュータが導入される前の図書館ではよく見られる風景であるが、一冊の本に対して、この目録カードを3〜4種類作成し、それぞれの使用目的ごとに小さな引き出しにいれる。利用者がまず探すのが、これらの「目録カード」であり、探している目録カードを見つけ、カードに記入されている請求記号をもとに、書架を歩き、目的の本にたどり着く。重要なことは、『実物』である本。『情報化』された『目録カード』という構図である。
  これはデジタルになっても変わらない。
  『実物』である本。『情報化』された『OPACシステム』という構図である。
  アナログであろうと、デジタルであろうと、それは情報化のための手段の違いでしかない。実物をさしてアナログということではないのである。この大きな誤解が、デジタルから人々を遠ざけている原因でもあると思っている。
 
※OPAC(おぱっく) Online Public Access Catalog : 図書館の蔵書検索システム。最近では検索した図書を予約する機能を有するものもある。(ただ...なんて Public Access なんだろうか? と疑問に思う丸山でした。Public Access って別のシーンで使われているもので....)
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 08:00 | 日々是電網 | Comments(0)

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その3

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その3
 −情況と状況−
 
 広辞苑にあった【情況・状況】という記述に関しては、それ以上のものが出てこない。どういう場合が情況で、どういう場合が状況なのかである。類似用語を探りながら考えてみたい。
 「状況」類似語として「状態」という語がある。モノの有様と考えると、物理的な存在(物体)の有様を指すと考えることができる。つまり「状況」とは、物理的なモノなどの様子、有様。とすることができる。
 これに比べて「情況」の類似語には、「情勢」という語がある。モノというよりもむしろ、その場の雰囲気/メンタルな面での勢いを指すのではないだろうか。つまり「情況」とはメンタルな様子、有様。と考えることができる。
 具体的に例えれば、戦車や装備はボロボロな状況であっても、戦意は上昇していれば、情況はよいのであり、逆に戦車も装備も無傷であっても、戦意喪失していれば、情況は最悪である。司令官としては、そのどちらも知りたいところであろうから、本来ならば「情況報告」というよりも「情状報告」の短縮語が「情報」であるといってもよいかもしれない。情状というと何か難しい言葉のようにも聞こえるが、実は私たちは日々のニュースやテレビドラマなのでよく耳にしている。「情状酌量」という時の情状が、これである。
 以上のように、「情報とは何か...」を語源から探れば、それは軍事用語であり、「情況報告」あるいは「情状報告」の短縮語である。
 そして注意しなければならないことは、この軍事用語が、小学生も使う日常語となったことである。
 
(参考文献)
広辞苑 第五版
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 08:00 | 日々是電網 | Comments(0)

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その2

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その2
 −敵を知り、己を知れば、百戦危うからず−
 情報が、「情況報告」の短縮語だったとわかれば、あとは芋づる式に思考を進めることができる。
 「情報」が軍事用となれば、以下のように考えられないだろうか。
 まず戦闘において、司令官は必ずしも現場に居るとは限らない。戦国時代の合戦ですら、総大将は戦闘現場から遠く離れたところで指揮を執る。その指揮に必要なのが「情報」である。

状況報告に必要な要素は、以下の4つである。
1.情況・状況となる 「現場」
2.現場を記録する 「記録者・感受装置」
3.記録したもの 「記憶媒体」
3.記録を運ぶもの 「伝達媒体」
4.記録を復元する 「受信者・再生装置」
5.それを情報として受け取る 「司令」

[現場]現在の日本において、この軍隊に類似した組織として「自衛隊」がある。この自衛隊の中では様々な訓練が行われるが、その都度「じょうきょう」が設定される。指揮用語として「状況開始!」「状況終了!」があり、隊員各自はその都度「状況に入る」のである。
「記録者・感受装置」英語で言えばセンサーといってもよいだろう。それぞれの情況・状況を、文章にしたり、スケッチしたり、写真やフィルムで記録したりすることである。いわば情報の記録化であり、テレパシーを使う以外は、なんらかの「記憶媒体」が必要となる。
「記憶媒体」現場の状況を記録するために、紙と鉛筆を使うならばその「紙」である。写真や映画ならフィルムである。感受者の記録を、持ち運び可能にするもの(可搬化) といってよいだろう。
「伝達媒体」可搬化した記憶媒体を、受信者まで届ける手段である。人ならば「伝令」だったり、のろしの煙や太鼓の音だったり、無線通信や伝書鳩だったりする。
「受信者・再生装置」運ばれてきた伝達媒体を、もとの現場記録に再現するものである。折り畳まれた手紙なら、それを広げて読めるようにすることから、高度に暗号化された文章を復号化してもとの記録に戻すことである。
 そして「情報」を「情報」たらしめる者として、「司令」がある。情況報告が情況報告として、存在意義を持つのは、「その知らせが次の行動に結びつくか、結びつけられるか」に関わってくる。つまり、次の行動に結びつかない知らせは、情況報告にはならない。と言っても過言ではない。
 さらに「司令」は、受け取った「情報=情況報告」と、自らの培ってきた「知識や経験」に照らし合わせて、『情況認識』と『情況判断』を行う。そして『作戦を計画し』『発令し行動する』のである。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
「情報」の本質は、ここにあるのではないだろうか。
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 07:59 | 日々是電網 | Comments(0)

そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その1

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その1
 −「情報」かく生まれけり−

 情報学関連の書籍をみると、「情報」とは文豪・森鴎外の造語で、クラウゼビッツ著の「戦論」の訳書の中で登場する(1903)。などとあるが、実際には、和語として1876年(明治9年)「フランス歩兵陣中要務書」の訳書の中で使われ、兵語としては1882年(明治15年)「野外陣中軌典」に初出しているようである。そもそも、一般用語ではなく軍事用語として「情報」が使われ、しかも「諜報」と同様に使われていたことがわかる。
 森鴎外は、文豪であると同時に、軍医であった。陸軍○○として●●に従軍したこともある。その軍医殿が、戦場で使われている用語を知らないはずは無い。むしろ、Information と同じ場面で使用されている用語として、「情況報告」あるいはその短縮語である「情報」を、Information の訳語として用いたのではないだろうか。
 
 偵察が戦場の様子を司令官に伝えるシーンでは、「情況報告! ▲▲が丘に展開中の敵5000。」というべきところを、「情報! ▲▲が丘に展開中の敵5000。」となったのではないだろうか。

 そしてこの軍事用語が、今日ごくあたりまえの用語として用いられている。これは、軍隊という組織活動においては、決定・判断をするのが司令官(司令部)ならば、そこにいかに有益な情況報告を集めるかが、次の一手としての行動に大きく影響するが、末端の兵士においては、意思決定を司令部にゆだねていることになる。その反面、現場の一兵卒には責任はない。
 昨今よく言われることに「自己責任」があるが、情況報告を得られず司令部からの命令による現場には「責任」はない。しかし、情報が一般用語と化し、様々な情況報告が個人でも入手可能となる場合には、その情報に基づく行動による責任は、まさに「自己責任」となる。逆を言えば、「自己責任社会」を標榜するのであれば、それにふさわしい個人が必要な時に必要な情報を得るシステムを保障しなければならない。そうしたシステムが存在しない世の中において、「自己責任」を言うのであれば、それは様々な現場からの情況報告を得ずに戦場に命令を出す司令官の姿を想像して欲しい。それは太平洋戦争中の帝国陸海軍よりも、恐ろしことになる。
 
(参考文献)
「日本陸海軍事典(上)」原剛・安岡昭男編
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by maruyama_takahiro | 2004-07-16 07:58 | 日々是電網 | Comments(0)

「情報」とは、「情況報告」である。

これは、私の持論です。
「情報」という言葉は、森鴎外による造語/訳語という説があるが、なぜ鴎外は「情報」という言葉を作ったのだろうか...と考えたことがある。

森鴎外は、文豪であると同時に医者でもあった。しかも従軍の軍医殿である。
そもそも、Informationという言葉は、戦争によって誕生した。敵の様子を伝えたものが、Information なのである。この戦争用語を、軍医であった鴎外は、偵察から帰ってきた斥候(せっこう)の言葉に、ハタと思いついたのである。
「情況報告! 敵ハ●●丘ニ潜伏セリ」。そうか、情況報告と Informationは、同じ意味だと。しかも軍隊ということころは、4文字以上の熟語は短縮する傾向がある。
そこで、「情況報告」が略されて「情報」となったのである。
文豪である鴎外も、「情けに報いる」とはなかなかしゃれとる...とおもったかどうか。
ちなみに、広辞苑を引いていただきたい。「状況」と「情況」は、同意語である。

と....そんなシーンを想像しているのだが、真実はいかに....
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by maruyama_takahiro | 2004-05-27 20:42 | 日々是電網 | Comments(1)