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カテゴリ:メディア活動( 3 )

台風一過の山中湖



2009.10.08
台風18号通過後の山中湖の風景です。
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by maruyama_takahiro | 2009-10-08 20:25 | メディア活動 | Comments(0)

市民メディアに[序列]をつくらない番組スタイルを求めて…

市民メディアに対して、僕がず〜〜〜っと抱いている疑念。

「市民メディアは小さいマスメディアなのか」ということ。たぶんそう簡単に答えが出るとは思えないのだけれど、ここで僕のような人間でも、声をあげ/書き留めておくことで、いつか誰かの検索結果に表示されればいいや…程度のつもりで書いてます。

前にも書いているのだけれど、市民メディアと呼ばれるほとんどの番組(コンテンツ)のスタイルが、どうしてもプロのそれと同じに《なろうとしている》点がすごく気になっているのです。
あるものは、某テレビ番組と同じように作ろうとしたり、NHKやBBCのドキュメンタリー番組風に作ろうとしたり、どういう訳か、プロフェッショナリズムのコマーシャリズム(商業的という意味)に乗っかっている[番組スタイル]を踏襲しようとしている。

 いったんこの模倣をはじめると、値段の高い機材/低い機材、編集設備の高いもの/安いもの、登場人物の人気/認知度の高い低い等々、さまざまな比較対象に[序列]が生じる。ひいては、市民メディア同士の間にも、あそこはレベルが高いとか、ここは低俗だとか、そもそも生む必要のない[序列]を生み出してしまう。
 そのことで、市民メディアとしてのメディア活動を始めて見ようと試みる人たちに対して、すでにある市民メディアのあり方そのものが、敷居を高くしてしまわないか…と、そんなことを思っているのです。

 で、ぼくはYouTubeのあり方を引き合いに出し、[序列]を生じさせないコンテンツづくりのあり方を模索したいと思っているのです。そこには、数百万円するデジタルハイビジョンカメラであろうが、ケータイ電話の動画撮影機能であろうが、そもそも[比較されないコンテンツのあり方]が存在している。なので、誰もが自分の持っている機材に《引け目を感じることなく》動画を撮影し、タイトルだのエンドマークすらつけることなく、じゃんじゃんコンテンツとしてアップロードし、共有を計っている。しかもオーディエンス側からは「だからYouTubeは見るに耐えない」ということが全く無いのだ。タイトルの有る無しに関わらず、エンドマークの有る無しに関わらず、字幕だとうが、キャプションがあろうがなかろうが、そんなことで比較すらされずに、おもしろい/興味深い動画コンテンツが成立することを、身をもって示している。そこにはプロがつくった動画だとかアマチュアが作った動画だとかという比較すら存在していない。

 一方で、市民メディアです、チャンネル◯◯です。なんて言い始めたとたんに、「番組の体裁」をとろうとし、その結果、プロの番組づくりとは違うよね、機材はチープだし、スタジオのセットもちゃっちいし…なんていう比較の対象に自らがなってしまう。これは市民メディアにとって大きなウィークポイントだと思うのです。

 ひょっとしたら、僕がイメージしているものは、「市民メディア」という対象ではないのかもしれないけれど、あらためて考えていきたいと思う。

 『市民メディアはなぜ既存のメディア番組の模倣をしようとするのか』

僕はそこに、意図する/しないに関わらず、市民メディア間に一種の[権威と序列]を発生させ、結果としてマスメディアがつくる番組との比較対象となり、その先にあるのは、大手NHKだのBBCだのを頂点とした《メディアのヒエラルキー》の中に組み込まれてしまう…そんな姿が見え隠れしてしまうのです。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 18:10 | メディア活動 | Comments(0)

市民メディアは小さいマスメディアなのか…

TOKYOメディフェス2009に(ちょこっとだけ)参加した程度ではありますが、いわゆる「市民メディア」に対するひとつの懸念が未だに払拭できずにいるので、それを今一度書き出してみたい。

それは
 市民メディアは小さいマスメディアなのか
ということ。

視聴者(オーディエンス)からみれば、マスメディアと同じ土俵でコンテンツの質が問われることとなり、結局行き着く先は「マスメディアをモデルにした番組づくり」に向かってしまうのではないか…ということ。番組として成立させるために、オープニングがあったり、タイトルコールがあったり、投書を読んでみたり等々…。結局マスメディアのミニチュア版が市民メディアなの?という疑問を、今でもず〜〜〜っと、抱えていたりするのです。

さらに、市民メディアがマスメディアのミニチュア版であるとするならば、さらに大きな懸念材料があります。それは[ヒエラルキーに囚われること]なんです。例えば、マスメディアの放送局には、数千万円規模の機材がありますが、市民メディアのスタジオ機材は数万円程度。導入している機材のランクだけみても、順列が出来てしまいます。ましてやアナウンサーのランクやら出演者のランクやらで、[メディアとしてのランクづけ]が生まれてしまう。当然ながら、「どうせウチの機材はこの程度さ」みたいな思いが生まれてしまいがち。番組の編集機材だった高い機材もあれば数十万円の安い機材もあるし、編集技術だって上手や下手があったりする。市民メディアがマスメディアのミニチュア版になろうとすればするほど、このヒエラルキーに囚われてしまうのではないか。これは「市民メディア」のあり方としてどうなんだろう…って。

それを思ったのは、YouTubeの動画なんです。

正直なところ、番組としての体裁もなにもあったもんじゃない。タイトルもなければクレジットロールもない。いきなり動画クリップがはじまって終わる。それでもおもしろい番組は世界中から注目されるんですね。ここでポイントなのが、YouTubeにアップされている動画の多くは、マスメディアの番組なんかモデルにすらしていない…ということ。そのために、マスメディアの番組づくりとは比較されないし(そもそも比較対象にすらならない)、メディアとしてのヒエラルキーにも囚われていない。逆にマスメディアの番組にそのまま使われるほどの魅力を持っている。そういう意味ではとても自由なメディアなんです。市民メディアがマスメディアの番組をモデルにすればするほど、このヒエラルキーに囚われ、NHKやBBCやCNNなどのメディアのヒエラルキーの中で、下〜〜〜の方に、位置づけられちゃったりするのです。少なくとも視聴者から見た印象としてね。

これが不思議なことに、YouTubeではあれだけスタイルにこだわらない映像クリップをアップするのに対して、Podcastになるといきなり「番組」をつくろうとする。にわかDJもどきになったように、マスメディアのラジオ放送番組をモデルしちゃうんですよ。なんでかなぁ〜〜〜?

なので、市民メディアはマスメディアの番組づくりをモデルにしないスタイルを持つ必要があるんじゃないか…って、考えているんだけど…。僕らはあまりにもテレビやラジオの視聴者としての体験を積んでしまったせいか、『マスメディアのつくる番組スタイル以外の番組モデル』を見つけ出せないでいたりする。

たぶん、すご〜く大雑把な言い方をすれば、「市民メディア」はマスメディアのつくる番組スタイルとYouTubeの動画クリップの中間に、その番組スタイル/番組モデルを持つことになるのだろうけれど…それがいったいなんなのか。少なくとも結婚式の最初から最後までを見せられるものではないとは思うのだけれど…(市民メディアならそれもありかな?)

デジタルアーカイブで考えたことなのですが、

 個人メディア/家族メディア/学校メディア/団体メディア/行政メディア/地域メディア

などなど、いろいろたくさん、それぞれの立場や伝えたいもの多様性と同じだけ、「◯◯メディア」が存在するし、それぞれのメディア毎に番組スタイルがあっていいと思う。なので、市民メディアはマスメディアと同じ番組スタイルに固執する必要は全く無い…と、個人的には思うのだけれど、撮影スタイルや編集方法、はてはイマジナリーラインがどうのこうのマイクジャマーあれがいいこれがいい云々カンヌンと、いきおいこれまでのマスメディアが培ってきた番組スタイルを周到してしまいがち…なんですね。

なので、僕自身は「市民メディア」はマスメディアのミニチュア版ではない!と考えているのですが、大方の市民メディアといわれている番組は、残念ながらマスメディアがつくる番組スタイルにハマってしまっている…そんな風に思えてしまうのです。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-23 19:48 | メディア活動 | Comments(3)