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カテゴリ:ひとりごと...( 392 )

図書館とメロディロードと命ということ。

不思議な組み合わせである。
たまに、ブログなどを書こうとすると…こういうことになる。

両親が他界し、自分も五十路を越えて、何やら「寿命」とか「命」とか「魂」などを考えたりする。人はなぜ生まれ、なぜ死んでいくのか。人類の歴史と同じくらい様々な宗教がそれを語り、偉人たちが悟りを開き、教祖となり…いまや世界はスピリチュアルであふれている。

僕自身も、宗教やスピリチュアルな不思議話は嫌いではないのだが、どうも最近あの「スピリチュアル用語」が耳につくようになってしまった。例えば「前世」や「過去世」とか、「あの世」とか「ハイアーセルフ」だとか…そんな言葉を使わなくても説明できるだろう時代になってきても、相変わらずの専門用語。ちなみに…ブッダ(ゴータマ・シッダルタ)さんは「一般庶民に分かる言葉で説明しなさい」との教えを説かれたにも関わらず、現代語訳もしない呪文のようなお経をあげている今日を、どんな気持ちでいるのやら…。

さて…そんななかで、僕は図書館に務めている。
ここにいるととても不思議な感覚になる。
本棚に並んでいる本は、それこそ宇宙の始まった137億年のビックバンの話しから、46億年前に地球が誕生し、人類が生まれ様々な歴史をたどり、今日からさらに未来への空想や創造をふくらませた物語までが、ひとつの建物の中のひとつのフロアに収まっているのだ。ここには始まりもあり終わりもある。いうなればα(アルファ)でありω(オメガ)なのである。
人はそのときどきに、書棚から本を出し、ページをめくる。すると突然その本の中の物語が再生され、私たちはしばらくの時間、その本の中の物語を生きていたりする。
本の取り出し方は順不同。ランダムアクセス、過去から未来、未来から過去。日本から他の国のはて、地球から宇宙の星々、そしてまた海底や地底へ…。それほどまでに自由でありなんら制約をうけずに私たちは物語の世界を行き来することができる。同じ本を繰り替えし読むこともある。何度も何度も。また、似たような物語を続けて読む事もある。

例えばそれは、魂とか命とか生きるといことの本質に近いものではないだろうか?
そう。今生きている私自身は、私自身という本を開きその物語を読んでいるようなもの。最後のページを閉じたときが、人生の終わり=すなわち死である。が,そこで終わりではない。「あぁ、おもしろかった。次はどれを読もうかな」なのではないか。そんな気がしているのだ。

坂本龍馬の物語も、ナポレオンの物語も、最初から最後まではそれぞれ本になっていて、それを「読む」ことで、ほんのひととき、ほんのつかの間のような時間を私たちは「生きている」のではないか。

また…図書館とは違うがちょっとばかりおもしろい体験もある。
富士吉田から富士山5合目に向かう「富士スバルライン」という有料道路がある(途中までは無料)。ここにメロディーロードがる。道路に狭い間隔で細い溝がつけられているとタイヤが音をたてる現象をご存知だろうか? これは溝の幅を変えることで[音程]をつくることができる。この富士スバルラインには、上りにも下りにもこの仕組みでタイヤがメロディを奏でる箇所があるのだ。しかも曲は「富士山」。この道路には数100mの間に曲の始まりと終わりがある。自分の走行と同時に曲が再生される。区間が終わると曲も終わる。まぁ、これだけのことなのだが、ふと…後続車が気になった。私が奏でた曲と同じ曲を少し違うタイミングで再生しながら後ろを走っているのだ。もちろん僕の前を走っている車も僕よりも先の部分を奏でているに違いない。
これは本に例えれば、一冊の本を複数の人間が同時に同じページだけでなく違うページを読んでいることと同じである。本ならば同時に何千部、何万部が印刷され市場に出回るので、同じ本を同時にあるいは違うタイミングで、同じページあるいは違うページを、複数の人たちが[読む=再生]しているのである。

一冊の本に、1枚のCDに、1枚のDVDに、1本の道(?)に。 過去も現在も未来も記録されており、そこを[私の視点]がピックアップすることで物語が再生され、私たちはほんのつかの間その物語世界に身を委ねている。これは「生きている」ことに似てはいないだろうか?

そして…よ〜くみてください、ね。
この言葉を。「再び」「生きる」と書いて「再生(=Play)」なんですよ。

普通の言葉でしょう。スピリチュアルな言葉を使わなくても、語れることがあるのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-11-27 01:31 | ひとりごと... | Comments(1)

時間と命と記憶と図書館

実は最近ハマっていることのひとつに「時間は実在しない」というものがあります。

時間とは何か? (別冊日経サイエンス 180)

日経サイエンス


時間は実在するか (講談社現代新書)

入不二 基義 / 講談社



天動説が地動説になったからといって、人々の日常が代わらなかったように、「時間は実在しない」としたところで、私たちの日常が代わる訳ではない。ただ、少しずつではあるが考え方が代わってくるのだ。
これまでなんとなく、時間というものは過去から現在そして未来へと流れてていくものだ…などと、僕たちは教えてもらって来た(そう信じていた)。しかし、一方で時間は過去から未来へ向かうのではなく、未来から今を経て過去へ流れて行くものだ…という考え方もあったりする。正直なところ、一時的にその考え方に魅了されたりもした。しかしながら、今では、未来とか過去とかではなく、ただ「変化する今があるだけ」という考え方にしっくりきていたりする。過去は「変化する今の記憶」でしかない…と。

昨年、今年と続けて父と母を亡くした。それはそれなりにショックではあるのだけれど、生きとし生けるもの必ずどこかで「死」を迎えるのだとしたら、父も母もその時を選んだのだろうと考えるようにしている。そこにどのような意味を持たせるか持たせないかは、飽くまでも生き残っている人間たちによるものでしかない。死んでしまった事を哀しむのは生き残った者なのだ。
それでも、父の命も、母の命も、大きな時間=暦の中にあることには間違いは無いと僕は思うのだ。父は昭和8年に生まれ平成22年までの間、母は昭和13年から平成23年までの間にそれぞれが「命」tして存在していたのだ。このことは疑いも無い事実なのだ。また、僕のMacの中やflickrサイトには父や母の若い頃から今までの写真が保存されていたりする…のだが、ここで不思議な現象が起きている。それは、同じパソコンの中、ウェブサービスの中に、若い頃の父も母も、年老いた父も母も同じに存在=記録されているのだ。記録の中には[時間]は存在していない…存在したとしても、それは「並べ替えのひとつの指標でしかない」のである。

このことは、実はとても大きいことなのではないだろうか?

ふりかえって図書館の中を見ると、不思議なことがたくさんある。
すでにこの世の中には存在しない人たちの『伝記』もあれば、すでに鬼籍に入った作家の作品も少なくはない。すなわち、図書館には「今」という時間は流れているものの、そこには…その書架の中の本の中には、過去の様々な記録が存在している…しかも、平安時代だろうが、江戸時代だろうが、つい最近だろうが、未来を描いているものもあるし、ここではないどこか遠くの出来事を描いているものもある。

そう、図書館には時間も場所(空間)も越えた、様々な物語にアクセスできるという非常に不思議な場所なのだ。

命は時間=暦にべったりと貼付いていて、そこから引き剥がすことはできないにも関わらず、写真や記録や物語は、その暦から命を引き剥がすことがいとも簡単にできてしまう。図書館はそうした記録の貯蔵庫ではないだろうか?

ここには坂本龍馬もいれば、聖徳太子もいる。ナポレオンもいれば、アインシュタインもいる。
しかも、同じ空間に、読もうと思えば日本語で読めたりする。

僕は最近、時間と命と記憶と図書館…という、なんだか妙に気になるテーマを、追いかけていたりするのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-08-23 01:37 | ひとりごと... | Comments(0)

この時代、このまま日本が成長しつづけると思っていた。



この後、バブル経済の崩壊がはじまり、阪神淡路大震災が起き、失われた10年と言われ、非正規雇用や雇用不安の時代となり、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が起きてしまった。

昔は良かった…と言う前に、僕たちがこれから先の日本にできること。
そんな原動力になったりするCMなのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-07-25 01:46 | ひとりごと... | Comments(0)

「司書」についてあらためて考える…。

プロフェッショナル意識を持つ多くの図書館員は、自らを「司書」だと思っている。
しかし、そうそう簡単に「司書」になることはできないのだ。

まずは何をもって「司書」というか、ご存知の通りこれは図書館法に定義されている。

(司書及び司書補)
第4条 図書館に置かれる専門的職員を司書及び司書補と称する。
2 司書は、図書館の専門的事務に従事する。
3 司書補は、司書の職務を助ける。


すなわち、図書館に置かれる《専門的職員》でなければ「司書」とは呼べない。これは司書資格所有者であっても専門的職員として配属されなければ「司書」とは称することはできないのだ。

次に、問題なのはこの法律における「図書館」の定義である。

(定義)
第2条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保有して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。


これが「図書館」の定義である。

これをあわせると、こういう文章になる。

地方公共団体が設置する公立図書館もしくは、日本赤十字社、一般社団法人、一般財団法人が設置し学校に附属しない私立図書館に置かれる専門的職員なければ「司書」または「司書補」と称することはできない。

ということなのだ。なので、企業などが設置する図書館は、図書館法によれば「図書館」ではなく、図書館法の一番最後にある

(図書館同種施設)
第29条 図書館と同種の施設は、何人もこれを設置することができる。


「図書館」によく似ているが、図書館同種施設でしかないのである。なので図書館同種施設で働く専門的職員であっても「司書」または「司書補」と称することはできない。

これが実態。
実は日本図書館協会がはじめた、認定司書制度も、この法律に基づいているため、「司書」と称することのできる職域範囲は、極めて限定的なものなのだ。

こういうことを、大学の司書課程の最初に教えてくれないと…いささか困ったことになる…と、思うのは、僕だけだろうか。

だからね…
図書館(のような場所)で働く専門的でない職員は、一般に図書館員/図書館職員と称することはなんらもんだいはないし、司書資格所有者が「ライブラリアン」と名乗るぶんには、まったく問題がないんだよね。よくまぁ、こんな法律をそのままにしておくものだ…と、つねづね思っていたりする。
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by maruyama_takahiro | 2010-12-01 22:24 | ひとりごと... | Comments(0)

宇宙人が地球侵略に来た時…図書館は何をすればよいのか。

バカな事を考えているなぁ…と、思っていただいていいです。
こういう映画た結構あるんです。

Skyline


Super 8


Battle Los Angeles


Cowboys and Aliens


人類の歴史や文化を残し伝えるために、例え宇宙人が地球侵略に来たとしても、図書館が果たすべき役割というものがあるように思う。そうできることが不可能に近い事であったとしても…。
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by maruyama_takahiro | 2010-11-20 00:16 | ひとりごと... | Comments(0)

夜になると…頭が痛い…

ここ数日、夜になると頭痛がする。
今日の入浴は、途中でスポーツドリンクで水分補給しながら、いつもより長めに地元の温泉に入り(17:30〜20:30ごろまで)。鍋焼きうどんを食べ、蜂蜜レモンしょうが湯を飲み…

それでもどういうわけか、この時間になると頭痛がする。
NIGHT HEADか?!

※気になる事といえば…最近メガネが合わなくなって、特に…そう…遠近両用が必要なお年頃なのか…という感じ。
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by maruyama_takahiro | 2010-11-07 23:26 | ひとりごと... | Comments(1)

いろいろと書きたい事、書かなくてはならない事…などが…

たくさんありまして、ただちょっとまとまった時間が欲しいので…ここ数日のうちに、あれやこれや書き出してみます。
乞うご期待(あの顛末記…とかね)。
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by maruyama_takahiro | 2010-11-04 03:52 | ひとりごと... | Comments(1)

I will be charenger!

頭の中では「ロッキーのテーマ」が流れている感じ。

『エイドリアーン!』
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by maruyama_takahiro | 2010-11-03 01:46 | ひとりごと... | Comments(0)

選書の基準…「つぶやき進化論」と「女医が教える〜」

カーリルとは誠に便利なサイトでして、Amazon で検索可能なISBNが着いている本を、かなり一気に横断的に検索することができる。
というわけで、図書館的には気になる2冊の都道府県別収蔵数を確認してみたい。

つぶやき進化論 「140字」がGoogleを超える! (East Press Business)

エリック クォルマン / イースト・プレス



(公共図書館でさがしてみる...)
 17館:東京/
 7館:大阪
 4館:千葉/愛知
 3館:岡山/
 2館:北海道/栃木/福井
 1館:宮城/埼玉/神奈川/長野/富山/岐阜/京都/滋賀/島根/山口/佐賀/長崎/熊本/

 0館:青森/岩手/秋田/福島/茨城/群馬/新潟/山梨/石川/静岡/三重/静岡/兵庫/奈良/和歌山/鳥取/広島/愛媛/高知/香川/徳島/福岡/大分/宮崎/鹿児島/沖縄

 う〜ん、これでは図書館員ってSNSには関心が薄い…と、思われてしまうなぁ〜。



※ 「女医が教える〜」は、興味がありましたらぜひ…。
 北海道青森岩手秋田宮城山形福島茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川新潟長野山梨富山石川福井岐阜三重静岡愛知大阪京都滋賀兵庫奈良和歌山鳥取島根岡山広島山口愛媛高知香川徳島福岡佐賀長崎大分熊本宮崎鹿児島沖縄

女医が教える 本当に気持ちのいいセックス

宋 美玄 / ブックマン社

※自館の選書は、本当に地域のニーズに応えているのか。未開拓のニーズがあるのではないか…そんなことを考えながらの選書は、商品の仕入れの醍醐味にも似ているのではないでしょうか。
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by maruyama_takahiro | 2010-09-06 01:42 | ひとりごと... | Comments(0)

メディアとコンテンツ

メディア=媒体…訳語の中には、霊媒などというのまである。
メディア論的に語れば、図書館は「書籍」「雑誌」「新聞」「CD」「DVD」「ビデオ」などは、すべてメディアである。

そのメディアに対して記載/記録され再生可能な内容(中身)を、コンテンツという。
図書館は、どうもメディアとしての「本」には関心があっても、実は中身のコンテンツに関しては、まだまだ無頓着すぎるきらいがあったりする。

肝心の図書館検索システムであるOPACも、メディアを対象としているので、本は探せても中身までは探せないのである。

僕は、メディアとコンテンツの関係を、料理に例えることがよくある。

料理に例えると、メディアはお盆食器のような存在だ。それに対してコンテンツは料理そのものという事ができる。ここだ大事なことは2つ

 ・人が食べるものは、メディアではなくコンテンツである。
 ・メディアは、いわば料理のスタイルといってもいい。器や配膳スタイルなどもメディアになる。

図書館は、その長い歴史の中で[コンテンツ]を記録した[メディア]を軸としてきたが、僕のイメージではこれからのデジタル社会の中の図書館では、むしろ「コンテンツ」に主軸を移した展開が必要なのではないだろうか…なんてことを考えていたりする。

…そして、コンテンツには大きく分けると、三種類の形態があることが…僕の研究(?)でわかってきたのだ。
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by maruyama_takahiro | 2010-08-19 22:01 | ひとりごと... | Comments(0)