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本日のビックリドッキリ写真「トリカブト」

P9291780

何気に、変わった花だなぁ…と撮ったら、なんとまぁ「トリカブト」だった。
もちろん撮影場所は、ヒ・ミ・ツ!
※葉のカタチからみると「ヤマトリカブト」のようです。

でも、意外とあちこちに咲いてるような〜。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-29 22:45 | ひとりごと... | Comments(1)

北富士駐屯地創立49周年記念行事





専守防衛に徹する日本の自衛隊は、ミサイル防衛に力を注いでいるようです。
こういうすっごいのがあるんです、日本には。

 ・96式多目的誘導弾システム
 ・中距離多目的誘導弾
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by maruyama_takahiro | 2009-09-28 08:50 | 自衛隊 | Comments(2)

たぶん僕らは「コンテンツ」を食べて生きている

先日の、TOKYOメディフェス2009のテーマにあった

 衣・食.住+メディア —いまを生きるために必要なものー

なんだけど、僕が思うところでは、+メディア じゃない。 +コンテンツ(=物語)なんだ。
なので、マルヤマ風に書き換えてしまえば

 衣・食・住+コンテンツ ーいまを生きるために必要なものー

です。メディアとコンテンツの違いは、新聞紙面と記事とか、番組とコーナーとか、雑誌と記事という具合。メディアは基本的にはコンテンツの受け皿/運搬用。ボクたちはお盆や食器を食べるのではなく、そこに盛ってある料理をいただくのですね。メディアの人たちはある意味で[メディアの存在を持続可能]とするために、記事を集めに取材に出かけるのだけれど、むしろ『伝えたいコンテンツがあるからメディアを必要とする』くらいに考えていた方が良いんじゃないか…って、思うわけ。

前に紹介した、TED talkもメディアとしてはウェブページやあのイベント(会場)があるわけだけど、聴衆が見たい聞きたいのは、ステージ上で繰り広げられる[プレゼンテーション]というコンテンツなわけ。そのコンテンツは単独で存在できるように映像をクリップ化している。ここが重要。実はこれはYouTubeでも同じなんです。コンテンツが単独で成立する媒体。メディアというよりもプラットフォーム(基盤)といった方がいいくらい。

将来の様々なメディア産業は、メディアを重視する視点から、コンテンツを届けることへのパラダイムシフトを迎えることになると思う。実はすでにYouTubeはメディアであることよりも、コンテンツを届けるプラットフォームになっていることに、気がつくべきだな。

「市民メディア」ではなく「市民コンテンツ」の時代になっていくのかもしれない。「メディア」の存在を重視すれば、しょせん大手マスメディアと同じ道を歩むことになるのだから。

※ただし厳密にいえば、メディアとはかなり階層的な/重層的な構造を持っているのも事実。TED talkでいえば、コンテンツの中でプレゼンテーションしている人物や背景のプレゼン画面もまた、メディアなのだから。

※ちなみに、昨今の[新書]ブームは出版社側の都合もありますが、読者がテーマを限定したコンテンツを求めている…というひとつの現れかもしれません。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-26 23:13 | 日々是電網 | Comments(0)

ブログの写真を変えてみた

画像を貼り替えるだけですが、気分を変えてみました。
(かえって、テンションが夕焼けモードになってしまったよぅ〜)
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by maruyama_takahiro | 2009-09-26 11:42 | ひとりごと... | Comments(0)

TED Talk スタイルに、僕は市民メディアのひとつのスタイルを見る

アーダコーダと市民メディアのスタイルに注文を付けているが、代案のない反対意見はナンセンスだ。
というわけで、僕なりの市民メディアとしてのひとつのスタイルとみているのが、これだ。

 ・TED Talk
 ・TEDtalkDirector YouTube



コンテンツとしては、10分を前後に長いものでも20分未満。
オープニングとスポンサー表示、エンディングは入っているものの、途中のコンテンツはステージ上でのトークと、プレゼンの画面で作られている。司会者もアシスタントもなく、いきなりトークが始まり、語るだけ語って拍手で終わる。

市民メディアの基本も、まずは「トーク」じゃないのかな…と、考えている。もちろん誰かとの会話であってもいいだろうし、討論であってもいい。ただ、そこに何だか余計な司会者だのアシスタントだのを入れてしまうのは、番組制作に対してあまりにもマスメディアがつくる番組スタイルに縛られているように思う。

まずは、テレビもラジオもないところであっても、聴衆を前に「語れる」こと。それがコンテンツの原点。それをそのまま動画にする、音声にする、文字にする…そこから市民メディアが始まるのがいいのではないか、などと考えている。

ちなみに、TED Talk は多言語の字幕つきのものもあるので、日本語字幕つきをみると、僕はちょっと安心してみることができる。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 22:44 | 日々是電網 | Comments(3)

基本的人権としての「情報権」

先日のTOKYOメディフェス2009の統括ティーチインの場でも、質問させていただいたが、僕は現時点で、基本的人権としての「情報権」を4つ考えている。

 1.知る自由(旧:知る権利)
 2.創る自由(旧:表現の自由)
 3.伝える自由
 4.残す自由

1.知る自由
 知る権利は、「知ること」に対する権利を意味しているとすれば、ここでいう「知る自由」は、知ることと知らないことを自らが主体的に選択できること。を意味している。「私はそれを知りたい」がひとつの権利であると同時に、「私にそれを知らせないで/私にそれを教えないでください」もひとつの権利である。

2.創る自由
 まぁ、表現の自由のままでもいいのだけれど、表現する、書く、作る、造る、創るなど、100%オリジナルであろうと、MADであろうと、それらを創り出すことの自由は、基本的人権として保障されなければならない。

3.伝える自由
 表現したものを、公の場にする/しないも、個人の意志による自由選択ができる権利と考えている。パブリックアクセス権も伝える自由のひとつの権利である。また、現在様々なウェブサービスが無料でオープン(公開)していることも、ひとつの「伝える自由」を保障してるものと捉えることができる。

4.残す自由
 表現したもの、公開したものを、後世に残す/残さないも、基本的人権として個人の意志による選択ができるものである。

そしてすでに気づくことではあるが、これらの4つの権利は、[私]という個人の中では矛盾することはないが、[他者]との関わりの中では当然矛盾することも、そこかしこにある。すべての法律がそうであるように、一方の権利主張は他方の権利侵害になることも少なくない。基本的人権としての「情報権」もまた、そうした関わる関係者たち(ステークホルダー)の間での合意がなされる必要がある。

そうであっても、ひとりの人間としてこの世に生まれ落ちた時点で、誰もが等しく、「知る」「創る」「伝える」「残す」ことを権利として持っていることを、「基本的人権としての情報権」として、うたいたいと僕は考えている。

※だからこそ、個人メディアも市民メディアもデジタルアーカイブも成立するのだと考えているし、この基本的な権利が明示されない限り、その上にある様々なメディアの存在そのものが成立しないんじゃないか…と、そんな風に考えていたりするのです。

※ただ、僕は弁護士でもなければ法律学者でもないので、ひとりの法律の素人の考えでしか無いこともご理解いただきたい。

※ちなみに…、僕が思い描く「これからの図書館像」は、実はこの「基本的人権としての情報権」を保障する公的機関として存在する[場]としてのイメージを持っていたりもするのです。なので、公共図書館でメディア制作の場を利用者に提供することも含まれています。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 19:19 | 日々是電網 | Comments(1)

「メディア活動推進協議会」の提案

個人からはじまり、家庭/家族、学校、企業、各種団体、行政、地域社会などの場面において、基本的人権としての情報権(知る・表す・伝える・残す)を用い、よりよい個人の充実した生き方からよりよい社会づくりへの関わりを、メディアを通して実現するために、課題の顕在化とその解決に向けた取り組みを行う団体。

 情報の受け取り側としてのオーディエンスにおける教育(エデュケーション)
 情報の作り手側としての表現技術の習得と向上
 情報の伝える手法におけるメディアの選択や普及・推進方法
 情報を後世に残すための創意工夫

などを主な課題として考えている。
言葉足らずは重々承知の上だが、「市民メディア」関連団体だけでなく、メディアリテラシーや情報教育、マスメディアも市民メディアも、デジタルアーカイブなどの団体も一緒になって《メディア活動》という言葉の元に集まる…そんなイメージ。

そして、僕が考える「メディア活動推進協議会」の最終的な目的はただひとつ。
それは、

人々の間に蔓延する無関心を撲滅すること

あえて書き出せば、

 メディア活動推進協議会は、メディアを介した無関心撲滅運動に取り組む団体です。

今のインターネットの世の中で無関心さえなければ、足下で起こっている出来事から地球の裏側、はては宇宙の遠いところで起こっていることさえ知ることができ、その上で自ら考え、自ら行動することができるのですから。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 18:45 | ひとりごと... | Comments(0)

市民メディアに[序列]をつくらない番組スタイルを求めて…

市民メディアに対して、僕がず〜〜〜っと抱いている疑念。

「市民メディアは小さいマスメディアなのか」ということ。たぶんそう簡単に答えが出るとは思えないのだけれど、ここで僕のような人間でも、声をあげ/書き留めておくことで、いつか誰かの検索結果に表示されればいいや…程度のつもりで書いてます。

前にも書いているのだけれど、市民メディアと呼ばれるほとんどの番組(コンテンツ)のスタイルが、どうしてもプロのそれと同じに《なろうとしている》点がすごく気になっているのです。
あるものは、某テレビ番組と同じように作ろうとしたり、NHKやBBCのドキュメンタリー番組風に作ろうとしたり、どういう訳か、プロフェッショナリズムのコマーシャリズム(商業的という意味)に乗っかっている[番組スタイル]を踏襲しようとしている。

 いったんこの模倣をはじめると、値段の高い機材/低い機材、編集設備の高いもの/安いもの、登場人物の人気/認知度の高い低い等々、さまざまな比較対象に[序列]が生じる。ひいては、市民メディア同士の間にも、あそこはレベルが高いとか、ここは低俗だとか、そもそも生む必要のない[序列]を生み出してしまう。
 そのことで、市民メディアとしてのメディア活動を始めて見ようと試みる人たちに対して、すでにある市民メディアのあり方そのものが、敷居を高くしてしまわないか…と、そんなことを思っているのです。

 で、ぼくはYouTubeのあり方を引き合いに出し、[序列]を生じさせないコンテンツづくりのあり方を模索したいと思っているのです。そこには、数百万円するデジタルハイビジョンカメラであろうが、ケータイ電話の動画撮影機能であろうが、そもそも[比較されないコンテンツのあり方]が存在している。なので、誰もが自分の持っている機材に《引け目を感じることなく》動画を撮影し、タイトルだのエンドマークすらつけることなく、じゃんじゃんコンテンツとしてアップロードし、共有を計っている。しかもオーディエンス側からは「だからYouTubeは見るに耐えない」ということが全く無いのだ。タイトルの有る無しに関わらず、エンドマークの有る無しに関わらず、字幕だとうが、キャプションがあろうがなかろうが、そんなことで比較すらされずに、おもしろい/興味深い動画コンテンツが成立することを、身をもって示している。そこにはプロがつくった動画だとかアマチュアが作った動画だとかという比較すら存在していない。

 一方で、市民メディアです、チャンネル◯◯です。なんて言い始めたとたんに、「番組の体裁」をとろうとし、その結果、プロの番組づくりとは違うよね、機材はチープだし、スタジオのセットもちゃっちいし…なんていう比較の対象に自らがなってしまう。これは市民メディアにとって大きなウィークポイントだと思うのです。

 ひょっとしたら、僕がイメージしているものは、「市民メディア」という対象ではないのかもしれないけれど、あらためて考えていきたいと思う。

 『市民メディアはなぜ既存のメディア番組の模倣をしようとするのか』

僕はそこに、意図する/しないに関わらず、市民メディア間に一種の[権威と序列]を発生させ、結果としてマスメディアがつくる番組との比較対象となり、その先にあるのは、大手NHKだのBBCだのを頂点とした《メディアのヒエラルキー》の中に組み込まれてしまう…そんな姿が見え隠れしてしまうのです。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 18:10 | メディア活動 | Comments(0)

それは[序列]だ。

リチャード・ワーマン氏による情報組織化で、どうしてもしっくり来なかった箇所がある。

『情報選択の時代』 松岡正剛訳/1990/日本実業出版社
(原著 『Information Anxiety』 1989)

1. Category (分野)
2. Time (時間)
3. Location (場所)
4. Alphabet (アルファベット)
5. Continuum (連続量)

『それは「情報」ではない。』金井哲夫訳/2001/エムディエヌコーポレーション
(原著 『Information Anxiety 2』 2000)

1. Location (位置)
2. Alphabet (アルファベット)
3. Time (時間)
4. Category (分野)
5. Hierarchy (階層)

この5番目の連続量と階層の違いが、す〜〜〜っと悩みの種だったんだけど、今日解決しました。
これは、

 Hierarchy は[序列]と訳せば良いんです。

連続量と階層のどちらでも捉えることができる「序列」。情報の組織化手法としては、腑に落ちた感じです。

繰り返しになるが、情報の組織化は「組織化のための組織化」ではない。情報の組織化の一番の目的は、「自分が求めている情報をすばやく探し出すため」であり、「上記の組織化によって、求める情報が全体のどのあたりにあるのか、おおよその在処(ありか)を掴むことができる」。そのための情報組織化なんですね。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-24 11:10 | 日々是電網 | Comments(0)

市民メディアは小さいマスメディアなのか…

TOKYOメディフェス2009に(ちょこっとだけ)参加した程度ではありますが、いわゆる「市民メディア」に対するひとつの懸念が未だに払拭できずにいるので、それを今一度書き出してみたい。

それは
 市民メディアは小さいマスメディアなのか
ということ。

視聴者(オーディエンス)からみれば、マスメディアと同じ土俵でコンテンツの質が問われることとなり、結局行き着く先は「マスメディアをモデルにした番組づくり」に向かってしまうのではないか…ということ。番組として成立させるために、オープニングがあったり、タイトルコールがあったり、投書を読んでみたり等々…。結局マスメディアのミニチュア版が市民メディアなの?という疑問を、今でもず〜〜〜っと、抱えていたりするのです。

さらに、市民メディアがマスメディアのミニチュア版であるとするならば、さらに大きな懸念材料があります。それは[ヒエラルキーに囚われること]なんです。例えば、マスメディアの放送局には、数千万円規模の機材がありますが、市民メディアのスタジオ機材は数万円程度。導入している機材のランクだけみても、順列が出来てしまいます。ましてやアナウンサーのランクやら出演者のランクやらで、[メディアとしてのランクづけ]が生まれてしまう。当然ながら、「どうせウチの機材はこの程度さ」みたいな思いが生まれてしまいがち。番組の編集機材だった高い機材もあれば数十万円の安い機材もあるし、編集技術だって上手や下手があったりする。市民メディアがマスメディアのミニチュア版になろうとすればするほど、このヒエラルキーに囚われてしまうのではないか。これは「市民メディア」のあり方としてどうなんだろう…って。

それを思ったのは、YouTubeの動画なんです。

正直なところ、番組としての体裁もなにもあったもんじゃない。タイトルもなければクレジットロールもない。いきなり動画クリップがはじまって終わる。それでもおもしろい番組は世界中から注目されるんですね。ここでポイントなのが、YouTubeにアップされている動画の多くは、マスメディアの番組なんかモデルにすらしていない…ということ。そのために、マスメディアの番組づくりとは比較されないし(そもそも比較対象にすらならない)、メディアとしてのヒエラルキーにも囚われていない。逆にマスメディアの番組にそのまま使われるほどの魅力を持っている。そういう意味ではとても自由なメディアなんです。市民メディアがマスメディアの番組をモデルにすればするほど、このヒエラルキーに囚われ、NHKやBBCやCNNなどのメディアのヒエラルキーの中で、下〜〜〜の方に、位置づけられちゃったりするのです。少なくとも視聴者から見た印象としてね。

これが不思議なことに、YouTubeではあれだけスタイルにこだわらない映像クリップをアップするのに対して、Podcastになるといきなり「番組」をつくろうとする。にわかDJもどきになったように、マスメディアのラジオ放送番組をモデルしちゃうんですよ。なんでかなぁ〜〜〜?

なので、市民メディアはマスメディアの番組づくりをモデルにしないスタイルを持つ必要があるんじゃないか…って、考えているんだけど…。僕らはあまりにもテレビやラジオの視聴者としての体験を積んでしまったせいか、『マスメディアのつくる番組スタイル以外の番組モデル』を見つけ出せないでいたりする。

たぶん、すご〜く大雑把な言い方をすれば、「市民メディア」はマスメディアのつくる番組スタイルとYouTubeの動画クリップの中間に、その番組スタイル/番組モデルを持つことになるのだろうけれど…それがいったいなんなのか。少なくとも結婚式の最初から最後までを見せられるものではないとは思うのだけれど…(市民メディアならそれもありかな?)

デジタルアーカイブで考えたことなのですが、

 個人メディア/家族メディア/学校メディア/団体メディア/行政メディア/地域メディア

などなど、いろいろたくさん、それぞれの立場や伝えたいもの多様性と同じだけ、「◯◯メディア」が存在するし、それぞれのメディア毎に番組スタイルがあっていいと思う。なので、市民メディアはマスメディアと同じ番組スタイルに固執する必要は全く無い…と、個人的には思うのだけれど、撮影スタイルや編集方法、はてはイマジナリーラインがどうのこうのマイクジャマーあれがいいこれがいい云々カンヌンと、いきおいこれまでのマスメディアが培ってきた番組スタイルを周到してしまいがち…なんですね。

なので、僕自身は「市民メディア」はマスメディアのミニチュア版ではない!と考えているのですが、大方の市民メディアといわれている番組は、残念ながらマスメディアがつくる番組スタイルにハマってしまっている…そんな風に思えてしまうのです。
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by maruyama_takahiro | 2009-09-23 19:48 | メディア活動 | Comments(3)