本のイノベーション(技術革新)を考える

ひさびさのブログです。

facebookでもいいかな〜と思ったのですが、ちょっと長くなりそうだったのでブログに書き留めて起きます。
僕は山中湖情報創造館という図書館機能を有する施設の指定管理者館長をしています。さぞや「本が好き」な人なのだろう…と、思われがちですが、実は…本は嫌いではないが、手放しで好きなわけでもない。というのが本当のところです。昨今「電子書籍」といった新しいカタチの本があるから、それはイノベーション(技術革新)だろう〜と言われる人もいらっしゃいますので、まずは「電子書籍」について


○ 電子書籍は本のイノベーションではないのか?

 ひとつの見方でいえば、電子書籍端末やスマートフォンやタブレット、そしてパソコンを使って読む電子書籍は、技術革新だと思います。ただ、正直なところ「紙の本の模造品」的な電子書籍なのです。かつて本がデジタル化される…という時代をみてきたものとしては、そこに「ハイパーカード」や、それをプラットフォームにした「エキスパンド・ブック」といった、紙の本ではできない「デジタル」だからこそ表現可能な本のスタイルがありました。文字や図版だけでなく、動画や音声、3Dデータなどを含めたコンテンツです。エキスパンドブックはその後ハイパーカードを離れ、独自のプラットホームを持つに至りましたが、残念なことに今日当時の電子出版物さえ見ることはできなくなりました。また、Apple社のiBooks AuthorやAdobe社のInDesignなども、実はマルチメディアコンテンツの本を作るためのツールとして登場していましたが、残念なくらい動画や音声など紙の本を超える本は…ごくたまにあるくらいです。電子書籍フォーマットであるePUB(イーパブ)も、そのフォーマットには規格されているにもかかわらず、デジタルならではの表現をもった本はメジャーな出版物としては登場していません。そうこうしているうちに、紙の本と同様の電子書籍、電子コミックが登場し、それこそがデジタルによる本の技術革新…というのは、少し寂しい気もしています。いまのところ「デジタルでなければ表現できない本のスタイル」には至っていない…と、僕は思っています。


○ 知識に重さはないはずなのに、本になったとたんに重さを感じる。

 本に対する不満のひとつに、その[重さ]があります。紙を使っているのだから重たいのはあたりまえだろう!って怒られそうですし、一方の業界からは、だったら電子書籍端末に電子書籍をいれれば、何冊いれたって重さは増えない!っていわれそうです…が、では「紙の本は軽量化に取り組んだか」といえば、それはほとんどありません。判型(本の大きさ)こそ、単行本や新書、文庫版といったあるていの規格サイズにこそなりましたら、ページに使っている紙、表紙、本全体の軽量化に取り組んだということは耳にしていません。これはとりもなおさず、輸送費や倉庫の重量に耐えられる…といったことにも繋がるので、歓迎すべきことだとおもいますし、個人の本好きが本の重さでアパートの二階の床が抜けた…というニュースも、ごくたまにですが耳にします。先日も地元中学生のキャリア教育の一環として図書館の仕事を体験してもらいましたが、その時の感想に「意外と重労働なんですね」とも言われてしましました。
 本に書かれている文字も写真も図も、そこから読み解ける知識にも物理的な「重さ」はありません。しかしそれが「本」になったとたんに重さを持ち、それが当たり前として軽量化に取り組むこともなく今日に至ったことは、すこしだけ悲しく思っているのです。


○ 本はこの百数十年、記録容量に大きな変化はない。

 パソコンの世界には「フロッピーディスク」という記憶媒体があった。さらにその前のマイコンの時代にはカセットテープも使っていたこともあった。フロッピーディスクには8インチ、5インチ、そしてプラスチックケースに入った3.5インチがあり、比較的3.5インチフロッピーディスクは、2HD 1.44MB(メガバイト)の時代が長く続いた。同時に大容量には、MO(エムオー)640MB やZIP(ジップ)750MBなどが登場したり、CD-R 740MB などの書き込み可能なディスクも登場してきた。
 そうこうしているうちに、デジタルカメラなどの登場により、磁気記憶装置からシリコンチップへの記憶媒体が登場し、昨今ではUSBメモリやSDカードなどで、8GB、16GB、32GB、64GB、128GBなど…3.5FDの時代からは、恐ろしいほどの大容量化が進んだ。しかも、しかもである。大きさは1/10なんてもんじゃない。

 例えば、3.5インチフロッピーディスクの容量を縦横1.2cmの1.44㎠と仮定すると、1GBは縦横32cmの面積=1,024㎠になる。USBメモリやSDカードの4GBや8GB、16GBなどは、この1,024㎠が4面、8面、16面もあることになる。しかもこれらの物理的サイズの比較をすると左から3.5インチFD、SDカード、microSDカードである。デジタル系の業界がこの数十年間にこれだけの記録容量を激変させている一方で、紙の本の記録容量には…百数十年間大きな変化は、無い。

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○ 本を読むには時間がかかる

 本好きの人には当たり前に聞こえるかもしれない。だが本を読まない人…出版マーケティング的には「未開拓の潜在顧客」の多くは、本を読まない理由に「読む時間がないから」と答えている。それに対して本を作る側はどうしているだろうか。短時間で読める本を作る努力や創意工夫をしているのだろうか? 例えばデッサンや絵画、彫刻・彫塑のジャンルでは、「まずは大まかに全体像を捉え」「それから徐々に細部を描き/作り」「最後は丁寧にディティールを仕上げる」くらいの段階を踏む。中にはいきなり材木から指先を削り出す彫刻家やいきなり細部を描き出す画家もいるにはいるが、ごく希少な存在である。このように読書においても、一度ではなく、まずは全体像を把握、徐々に細部を読み、最後は一字一句を読んでいく…ような段階的読書方法だって有ると思っている。だが、残念なことに、そのような読書スタイルに対応した出版物は、みあたらない。(ビジネス書系にはあるかもしれないが)
 本のイノベーションのタネとして「読者に時間をかけずに本を読むための工夫」みたいなところに、技術革新はあるかもしれない…と、思っている。


○ 本を読んでも覚えていられない(忘れちゃう!)

 時間の無い中で、読書の時間を作り、一字一句丁寧に読むことができたとしよう。問題はその次だ。「読んだ内容をすぐに忘れてしまう」のだ。これは読者側の能力の問題…といってしまえば、それまでだが、もう一方で「記憶に残らない本を作っている」という感覚を持って欲しい。一度読んだら忘れない本。書いて有る内容…いやむしろ著者が伝えたい内容を読者が忘れないようにする工夫。そんなところに、本のイノベーションのネタが埋まっていると思う。
 場合によっては、読み終えても登場人物の…いや主人公の名前すら覚えていないこともある。読み終えたはずの本の内容を誰かに伝えたくても、読み終えたことは覚えていてもどんな内容だったかを人に説明できるほど記憶していない…のだ。
 人の記憶は不確かな一方で、とんでもない瞬間を記憶していることがある。雑誌のページをぺらぺらめくりながら、読み飛ばしたページの右上にあった絵が何か気になったのだけど、そのページを探せない…みたいなことが、僕にはある。パラパラとめくっているだけのページのはずなのに、特定の文字(キーワード)だけが目に入って記憶しているのだけれど、そのページを探すのにこれまた時間がかかったりもする。ぼくだけの症状なのか、他の人にもあるのかはしれないけれど、『ぱらぱらとページをめくるだけでも記憶に残る編集方法』がありはしないだろうか。
 また、記憶の濃淡/強弱…ここだけは覚えて欲しい。みたいな編集方法もありそうに思うのだ。


○ 僕たちは何のために読書をするのか。

 本を読み終えたことだけは覚えているけれど、主人公の名前も登場人物の名前も、いつ・どこで・だれが・なにを・どのように・どうした…いわゆる5W1Hを他人に伝えられるほど、読書をしても記憶しているわけでは無い。村上春樹の『ノルウェーの森』を読んだ人は、主人公の名前を言えるか自問してみるといい。
 さて、一方で読書は学びのためにする…ということも言える。知識や他人の経験を追体験するのもまた読書の役割だと思う。ただ本当に著者が伝えたい知識が、ちゃんと伝達できているのだろうか?いや、そもそも「知識」とは何かという定義すらあいまいではないか。いやいや世の中には「知識工学」といものがあってだな〜…と、あれやこれや。
 読了後、内容を覚えていないのはしかたがないと譲っても、知識として何が得られたのか…は、重要な問題だ。これはいわゆる「費用対効果」。本を買うにしても、仮に無料の図書館で借りるにしても交通費や時間などの労力をかけるわけだから、それに見合うだけの見返りがなければならない。
 一字一句暗記しなくてもいい、内容の5W1Hを誰かに伝えられなくてもいい。だけど『読んだことで知識を得る』ことができなければ、もう本などは買わない。
 そういう意味で、読了後『知識を得られる本』『得られた知識を忘れない本』そういう本を著者は書くべきだと思うし、編集し出版する側も、そこに本のイノベーションのネタが眠っていることを考えて欲しいと思っている。


あとがき

 実はなぜこんなことを書いたかといえば、とある人から「丸山さんも本を出したら〜」と言われたからなのだ。常日頃から「今の本には他の産業のようなイノベーションが無い」と言っているだけに、自分で出す本が、まったくのイノベーションの無い本だったら、もう誰も丸山の言葉に耳を貸さなくなるだろう。もし僕が書く本があるとしたら、少しでも従来の本とは違う「イノベーティブ」な部分を持っている本にしたい…と、思い立ったので、こんなことを書き出してみた。

 もちろん、印刷や製本、編集の製造サイドにおいては、版木から活字、写植を経てDTPへと大きな変化があったし、それにより生まれて没した産業があることも知っている(活字産業は写植産業によって消え、写植産業はDTPの登場によって消えました)。

 ここまで読んでいただいた人がいらっしゃったら、深く感謝いたします。
 本に対する愛と憎しみと屈折した思いをもちながら、この情報や知識や物語の世界に、まだしばらくはいる予定です。

ありがとうございました。


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# by maruyama_takahiro | 2017-11-11 17:10 | 日々是電網 | Comments(0)

多種類情報資源相互参照システム2016

最近、とつぜんふってわいたかのように『グラフデータベース』にハマってます。
これは、たぶん…丸山自身が1999年あたりから取り組んでいたことを、いとも簡単にあっさりと実現させてくれる可能性をもったデータベースだと確信すらしています。
僕がいま注目しているグラフデータベースは、こちら。


これを少しさわりながら、データ入力の効率化に、これまでに作ってきた「多種類情報資源相互参照システム」が使えないかなぁ〜と思ったところ、なんと! これまでのシステムを根本的にバージョンアップさせるアイデアがグラフデータベースからもたらされました。
正直なところ、2016年になって「多種類情報資源相互参照システム」をバージョンアップさせることになろうとは、感動するほどのおどろきでした。

ということで、このブログはその感動を少しでもわかっていただければ…と、思って書き始めていますが、できるだけ簡易な言葉でかきますので、どうぞお付き合いいただければ、幸いです。

【第1世代多種類情報資源相互参照システム】
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まずは一般的な、多対多のデータベースを考えます。
一般的なリレーショナルデータベースは、簡単にいえばエクセルの表のようなものです。A,B,Cとならぶ列の方向に、人物データベース(テーブル)ならば、整理番号(ID番号)、名前、ふりがな、性別、生年月日などの項目をつくり、1行方向に一人目、二人目、三人目…と、レコードを追加していきます。この人物テーブルとは別に団体テーブルを作ります。団体番号、名称、代表者、住所、などなど。
そして、この人物テーブルと団体テーブルという種類の異なるテーブルを関連付けます。一人の個人が複数の団体に関係性をもち、ひとつの団体が複数の人物と関係性を持つので、ここでは[多対多]の関連付けが必要となります。その際には、両方の関係性を記述するための関連付けのテーブルが必要です。関連付けテーブルには、人物ID、団体ID、関係性という項目を用意します。人物テーブルの人物IDと関連付けテーブルの人物IDをつなぎ、団体テーブルの団体IDと関連付けテーブルの団体IDを関連付けます。これにより人物と団体とが[多対多]の関連づけを持つシステムをつくることができます。
しかしこれには、とても大きな問題がありました。人物と団体だけでなく、場所や出来事、その他のアイテムを相互に関連づけるとなると、それぞれに[関連付けテーブル]を用意しなければなりません。しかもその多対多の関連付けテーブルは、2つの種類なら1つ、5つの種類なら6つ、6つの種類なら10こという具合に、多種類になればなるほど、その関連付けテーブルが増えてしまうのです。
これでは、ちょっとした変更に対してもとても大きな負担が発生します。
関連付けひとつとっても、固定化された関係性よりも、関係性にも始まりと終わりがあったり、様々な関係性の属性が生まれることもあります。そうした変更に対応するには、このシステムでは膨大な手数がかかってしまいます。


そこで、次に考えたのがこちら。
【第2世代の多種類情報資源相互参照システム】
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最初の多種類情報資源相互参照システムは、まずは多種類の情報資源の共通部分を抜き出して、ユニティテーブルを用意します。このユニティテーブルは、情報の種類(タイプ)によって、それぞれ人物テーブル、団体テーブル、場所テーブル、出来事テーブルなど個別の項目を用意したテーブルを1対1で関連づけます。
これにより、ユニティは種類によって多種類の情報を扱うことができるようになり、新しい情報資源の種類が増えても、このユニティテーブルと新しい情報資源のテーブルとを1対1で繋げばよいだけになります。
関連付けも、1つのユニティテーブルをA、関連するBにもユニティテーブルを接続することで、相互参照する基本的な仕組みは1つの関連付けテーブルで実現できます。
これならば、関連付けテーブルに後から属性を追加するのも簡単になり、メンテナンスの手間が大幅に削減できます。
FileMaker Proで実現する場合は、情報の種類(タイプ)によって表示するレイアウトを変更することで、それぞれの種類の項目のみを表示させることができます。
欠点としては、それぞれの情報種類のID番号に重複が生まれてしまうこともあり、レイアウト切り替えだけがたより…になるということがあります。(例えば、ひとつのユニティIDが、人物テーブルにも場所テーブルにも入力可能で、レイアウトの切り替えを間違えると、別の情報がリンクされてしまうことがあります)。

それでも、かなり有効に使えてきていて、このデータベース構造は実験用OPACに使っていたりします。

そして昨日、グラフデータベースを勉強している中で、なんとかデータ入力を効率化してやろうと思って、FileMaker Proを使ったシステムをつくろうとした瞬間に、それは起こったのでした!

【第3世代 多種類情報資源相互参照システム】
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グラフデータベースが、ノード(点)とリレーション(線)でできているという特徴があり、Neo4jの場合は、それぞれのプロパティ(属性)も付与されています。
実はそれをそのまま、FileMaker Pro というRDBで表現すると、上記の図のようになるのです。

ノードテーブルには、ノードIDとラベル(第二世代でいうところのタイプ)があり、関連付けのリレーションテーブルにはノードA側ID、ノードB側のID、関連性があればOK!

正直なところ、「え!これでよかったのか。」という驚きです。

多種類情報資源は、ラベルの記述によって変更します。ここに、人物、団体、場所、出来事、アイテム…などなどの情報資源の種類を記入。
さらにそれらの各項目は、ノードとノードプロパティテーブルを1対1で接続し、いわゆる入力項目は、必要に応じて、Key(キー:項目)とValue(バリュー:値)で、必要な項目と必要な分だけ入力する…という形式にすることができます。これで、人物データベース用の項目、団体データベース用の項目等などを、あらかじめ用意する必要がなくなるのです。データベース的な言い方をすれば、あらかじめスキーマ(データベース構造)を決めなくてもいい!…という画期的な「多種類情報資源相互参照システム」ができあがるのです。パチパチパチ!
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一昨日の早朝におもいつき、早速FileMaker Proで実装中。この基本構造に加え、作業効率化のための項目も付け加えながら、システムを構築中で、そのシステムによってNeo4jの入力作業の効率(入力用のテキストデータ作成)の手間が大幅に削減される見通。

で…ここで疑問???
FileMaker Proで実装できるなら、わざわざNeo4jを使わなくてもいいじゃないか?
そう。単純な検索ならば、それでもよいのですが、そこはグラフデータベースの強い[グラフ理論による検索]を必要としているからなのです。これはFileMekerや他のRDB(SQL)では不可能に近い。

ということで、この感動(?)を少しでも共有できれば幸いです。

また、4月以降「グラフデータベース勉強会」を小さいながらも始めてみたいなぁ〜と思っています。
興味・関心のある方は、ぜひ山中湖情報創造館のサイトをチェックしていてください。
では、また。

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# by maruyama_takahiro | 2016-02-28 22:47 | SuperOPAC開発日記 | Comments(0)

本の索引から人工知能へ

ブログ記事を書くなどと、久しぶりのことではあるが、ここいら書きとめておかないと忘れてしまいそうなので、facebookに書くのも良いけれど、久しぶりにブログに書いてみたりする。

本の索引がなぜ、人工知能につながるのか…。
本を検索するための書誌データがあり、全文検索は技術的に可能だが権利的にムニャムニャ〜。でも権利的に問題なく、しかも人工知能社会に貢献…いや貢献どころか、人工知能を支える知識ベースは、図書館に存在していることに、気がついて欲しいと思うのだ。

本の索引
 図書館の仕事を初めて10年以上になる。最初は図書館業界でも有名な我らが理事長の元、門前の小僧もなんとやらで、図書館に対してはど素人でもそれなりに勉強しながらやってこれた。当初より僕は「図書館の本をバラバラに分解したい」と思っている、図書館業界にはあるまじき考え方の持ち主ではあったが、多分それは、今でも変わらない。物理的にバラすことができないならば、デジタル的にバラすことはできないか。バラしたのちに再構築できる技術はないだろうか?などと考えたものである。最初は図鑑や辞典などの項目ごとに解体できないだろうか? などと思っていたが、本には索引があるじゃないか!と改めて本のページを開くと、これがまたすごいことになっている。
 日本の書籍には「索引」が欠落している。
 諸外国のいわゆる洋書を紐解けば、児童向けの十数ページの本であっても1ページ程度のINDEXが付いている。またドキュメンタリーや伝記においては、INDEXの充実ぶりは目をみはるものがある。日本語に翻訳された書籍ではINDEXも翻訳されるものもあるが、必ずしもすべてではない。原書にはあったINDEXが、邦訳では削除されている事例も見受けられる。
 それほどまでに、日本語の書籍には「索引」が少ない。
 理由はいろいろあろうが、索引は著者が作るもの、いやいや編集部が作らなければ、そんな時間はないから外注に、おいおいそんなコストは出せないと出版社…と、まぁこんな感じで『日本の書籍には索引がない』状態が、今もなお続いている。逆に言えば、これは未開拓の地が広がっている…とも言える。まだまだ、開拓できる知的フロンティアが、図書館には存在している。

索引データベースを作る
 すでに索引の付いている本から、索引をデータベース化する。
 1冊の本に対して索引を作る…データベース的に言えば、本1冊を1レコードとしたデータベースに、索引フィールドを作成し、複数行の索引データを入力する方法もあるが、これでは次の応用ができない。
 書籍データベースに、索引フィールドを作るのではなく、書籍データベースとは別に、索引データベースを作り、リレーションを取る。リレーショナルを使うことで、何件になるわからない索引を1行1件で蓄積するデータベースを構築することができる。何をリレーションのキーにするかは見当が必要であるが、書籍データベースとは別に、索引データベースを構築することで、むしろ「総合的な索引データベース」を構築することができる。
同じ見出語の索引を持つ書籍には、何があるか。それぞれ何ページにその見出語が掲載されているか。複数の本にわたって総合索引データベースが構築出来れば、それだけでも図書館の使い勝手は大きく向上する。
 実のところ、今での「レファレンス辞典」という形で、図鑑や辞典などの見出語とその掲載文献をまとめたものはある。しかし、業界向けということもあり非常に高価なのだ。また、児童向けではないし、子供向けの図鑑は対象外である。
 この総合索引データベースを、図書館が自ら作るようになることで、図書館の使い勝手向上を図る余地は、とても大きいと思うのだ。

 総合索引データベースにおけるフィールドの基本構造は、
[索引ID]
[見出語(索引語)]
[見出語ふりがな]
[書籍ID]
[掲載ページ]
これに、若干利便性を高めるためのフィールドを幾つか付け加える感じ。

索引データベースから見出語を抽出
 総合索引データベースは、一件一件の索引情報を入力するものですが、この索引データベースで登場する[見出語(索引語)]を抽出する作業が必要である。
見出語データベースあるいは見出語マスターと言ってもいい。

見出語マスターの基本構造は、
[見出語ID]
[見出語]
[見出語(ふりがな)]
ど、同時に、総合索引データベースのフィールドに[見出語ID]を追加する必要がある。

見出語マスターは、索引語から抽出したものであるが、そこにはちょっとした落とし穴がある。[同意語]の問題だ。同意語という以前に、例えば人名表記(特に外国人)に関しては、実に様々ものが登場する。例えば、アインシュタイン。すでにテストケースで作っていても、これだけある。

アインシュタイン
アインシュタイン, アルバート
アインシュタイン、アルベルト
(アルベルト・)アインシュタイン

これらが同じ人物の名前であることを捉えなければならない。そこで、総合索引データベースと見出語マスターとを、多対多でリレーションする必要があり、そのためのデータベースを一つ間に入れる必要がある。
見出語リンク用データベース
[見出語ID]
[索引ID]
これを入れることで、一つの見出語に対して複数の書籍からの索引を関連付けるだけでなく、一つの索引レコードから、複数の見出語をリレーションすることが可能となる。

目録カードの時代で言えば、[アインシュタイン]と描かれている人物典拠カードに、[アインシュタイン,アルバート][アインシュタイン、アルベルト][(アイルベルト・)アインシュタイン]  をも見よ と書くところかもしれない。

さて、ここまでは従来の図書館情報学における資料組織論として取り扱える内容である。
まぁ、残念ながら現在の電子化された目録データベースでは、ここまで取り組んでいる事例は、知らない。もしあれば、不勉強な私にぜひ教えていただきたい。
ここからが、次のステップである。

見出語どうしの関連づけ
一つ一つの見出語を「情報」とするならば、その情報を別の情報を持って記述したものを「知識」としよう。するとこういうことを描くことができる。
 「見出語A」は「見出語B」の「なんとかである」。

例えば、
「ロボット學天則」は「西村真琴」が「作った」
「西村晃」は「西村真琴」の「息子(である)」ちなみに、息子にはさらに「次男」という属性もつく。
  → 自動的に、「西村真琴」は「西村晃」の「父(である)」

こんな関連づけを、見出語にいっぱいつけていく。そんなデータベース作りを考えている。
僕はこれを『多種類情報資源相互参照システム』として構築する事ができる。
AはBのxxである。という関連づけ。しかもその関連づけには様々な属性を付加する事もできる。
そしてこれは、後に(現在)において、『グラフ Graph 』という名前で呼ばれるようになり、Googleは「ナレッジ・グラフ」という名称を用いているようだ。

グラフとセマンティック
 数年前に Google 社が、ナレッジ・グラフ というものを開発した。また、Open Graph というプロトコルもある。

 ナレッジグラフ Wikipedia
 Open Graph protocol

Wikipediaの解説を見ただけではよくわからないところもあるが、要するに 情報は一人ではいられない。他の情報を関連性を持ちながら存在し、その関連性を結んでいけば、連結した先の知識も答えとして導き出すことができる。
例えば、一冊一冊の小説から、時代と場面と登場人物を関連付けながらグラフをつないでいけば、

 文献に見られる、大正時代に、東京御茶ノ水YMCA会館の前を、通った人のリスト(架空人物を含む)が欲しい。

といえば、直接の回答が存在していなくても、結びつきを辿りながら、そんなリストを作り出すことができたりする。
現在、Web技術の方面では、『セマンティックWeb』とか『Linked Data』、『トリプル』とか『SPARQL』と言ったキーワードによる分野で、そんなことが実現出来るWebの記述方法と検索方法が検討されているが、その技術を持って、対象をWebから既存の出版物…特に「図書館の蔵書」を対象にすることで、人類の叡智を結びつけるようなことができるのではないか。「本」というパッケージに囚われている叡智を解放することができるのではないだろうか…などということを考えていたりする。

・・・【追記】
 実はこの夏に、SoftBankの人型ロボット(ヒューマノイド)のPepperが、やってきた。彼の(一応少年の設定)プログラミングをしている中で、なるほど!そういう解決方法があるのか。という場面に遭遇した。
 このブログで言えば、「見出語」マスターの上位に「コンセプト」マスターを置くと、複数の見出語を一括りの概念で括ることができそうだ。そのあたり、もしかしたら図書館情報学で言うところの『件名表目標』が使えるかもしれない。

Pepperの開発環境である Choreographe における QiChat Script でいうと、上の「アインシュタイン」は、

concept:(einstein)[アインシュタイン Einstein "アルバート アインシュタイン" "アインシュタイン、アルベルト" "(アイルベルト・)アインシュタイン" "Albert Einstein" ]

とすることで、[]の中のどの表記(文字列)が来ても、全て einstein という言葉(変数)に対応します。

というわけで、この膨大な「索引データベース」を構築する/構築し続けることで、日本の人工知能は図書館の蔵書から叡智を得ていくのではないだろうか?
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# by maruyama_takahiro | 2015-10-20 10:26 | SuperOPAC開発日記 | Comments(0)

民主主義の学びの場にする指定管理者制度

 2003年(平成15年)、地方自治法が改正されて、それまで行政あるいは一部の団体にしかできなかった公の施設の管理運営が民間団体(営利企業や非営利団体など)にも解放される、いわゆる「指定管理者制度」が誕生しました。

 指定管理者制度(Wikipedia)

 この条文の改正による制度運用に関しては、いわゆる「スキーム」が国からは出されることはありませんでした。この法律改正をうけて、各都道府県および各市町村は、自分たちで制度運用方法を考えなければなりませんでした。その結果、ひとつの法律に基づく制度運用が、設置自治体ごとにバラバラ、同じ自治体でも公の施設ごとにバラバラ…という状況を生み出す結果になってしまい、どのような制度運用が正解なのか…は、結果をみてみないとわからない…という状況が生まれてしまったと思っています。

民間の営利企業が指定される場合、それまでの自治体出資により設立されたいわゆる「第三セクター」、そしてNPO法人などの市民団体…等々。法律上は個人ではなく二人以上の任意団体でも可能ですが、制度導入する事例ごろに、応募資格などが決められこれも自治体ごと/施設ごとに、統一されることはありません。
 さて、そんな「指定管理者制度」は、当初より現在にいたるまでいろいろと批判の対象になってきました。ことに「図書館における指定管理者制度の導入」に関しては、その最大の業界団体である日本図書館協会自信が、「図書館への指定管理者制度導入は、なじまない」と公式に声明を発表するに至って降ります。

公立図書館の指定管理者制度について(日本図書館協会)

 私たち、山中湖情報創造館およびその指定管理者であるNPO法人地域資料デジタル化研究会は、制度が施行された翌年の2004年(平成16年)4月の開館当初より指定管理者制度を導入した図書館として、今日まで4回の協定を更新し10年間事業を継続してきました。継続性に難あり!と言われた制度ではありますが今日までこれらたことは、多くの方々に支えられ評価された結果だと自負しております。

前置きが長くなりましたので、いよいよ本題。
実はこの「指定管理者制度」は、公の施設を住民自治による民主主義のあり方を学ぶ絶好の機会であると、私たちは考えています。ただ、そのためには設置自治体側も住民側も乗り越えなければならない課題が多い事は重々承知の上で、こんなモデルを考えています。

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行政(パブリックセクター)による公の施設(ここでは「公立図書館」をイメージしながら描いています)の管理運営モデルです。
これに対して、指定管理者制度を導入し、民間の営利企業が指定管理者となった場合は、このようになります。
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あえて、オレンジ枠の部分に「意思決定に参加できない」と書きました。
パブリックセクターにおいては、住民は教育委員会にクレーム言う事は可能です。また教育委員の方々を通じて、あるいは都道府県議会/市町村議会の議員を通じて、住民の意見を反映させることは不可能ではありません。
それに対して、民間の営利企業であるプライベートセクターが指定管理者になった場合、プライベートな民間企業の意思決定に対しては、住民の意見は反映されにくいのが実情です。もしも企業が株式を一般公開していれば、株主になって株主総会で質問するなどの関与はできますが、これはなかなかハードルが高いことです。逆にいえばプライベートな営利企業が指定管理者になった場合は、その点に十分注意することはひとつの手法と考えられるでしょう。
プライベートセクターである民間の営利企業が指定管理者になる場合に対して、NPO法人が指定管理者となった場合の図がこちら
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あえて、オレンジ枠の部分に「意思決定に参加できる」と書きました。
 ご存知のとおり、NPO法人は非営利団体(Non-Profit Organization)です。その活動に興味関心を持っている方ならどなたでも会員になることができます。むしろ正当な理由が無い限り入会を希望する人を拒むことはできません。当然その自治体の住民もNPO法人の会員になり、総会における議決権を有することも、理事に立候補することもできます。営利企業の株主になるよりもはるかにハードルは低く、意思決定に参加することができるのがNPO法人の特徴でもあります。
 このモデルから、地元の公の施設の指定管理者がNPO法人になった場合、住民を含め興味関心のある方ならどなたでも会員になり意思決定に参加することができるのです。逆な言い方をすれば、地元の公の施設が指定管理者を募集するのであれば、これこそ住民自治による管理運営ができるぜっこうの機会!と捉えて、地元住民がNPO法人をつくって応募することは可能なのです。

 それはまさに、住民自治による民主的な公の施設の管理運営モデル が、指定管理者制度を用いて実現可能になるということなのでは、ないでしょうか。しかも施設や設備などの初期投資や管理運営に必要な費用も指定管理料として支出していたく…など、市民団体が自発的に図書館や学習施設などをつくるのに比べてはるかに大きな規模で、はるかに安定した財源で、それが実現できるのが、この「指定管理者制度」なのだと考えています。

もちろん、NPO法人の経営、意思決定における合意形成の手法、などなどの課題はありますが、これらはじつは「民主主義のためのエクササイズ」にほかありません。
これまでの、行政に「おまかせ」民主主義や「おねだり」民主主義は、管理運営が民間企業になっても同様に「おまかせ&おねだり」になりがちですが、管理運営主体が自分たち自身になればそこに「合意形成」や「意志の反映」などは、《他人事》から《自分たち事》になっていきます。

山中湖でも当初は、そんなイメージで取り組んでいたのですが、僕たちは地元のNPO法人ではなかったこともあり、どうしても住民側からはそれまでの行政に対する姿勢が代わらなかった…ということがあったり、結果として地元の市民団体が分裂解散してしまったこともあり、結果とし私たちのNPO法人が10年間継続することとなりました。

 以上のように、指定管理者制度そのものは、市民団体が住民自治により公の施設を管理運営できる制度でもあるのです。これは今までの日本の官僚主導による民主主義のあり方を変えていく契機にすらできるものだと思っています。図書館の業界団体や社会教育関係の集まりの中で「指定管理者制度なじまない/ふさわしくない」という議論が大勢を占めているようですが、これこそまさに合意形成のあり方、住民自治のあり方を考え学ぶための「民主主義の基本を体験学習できるエクササイズ」にできることを、設置自治体側も、住民側も再考する必要があるのではないでしょうか。

諸外国の図書館においても、プライベートセクターである民間営利企業へのアウトソーシングに対しては反対する意見が見受けられますが、上記のような住民自治による公共図書館は、コミュニティ・ライブラリとして成立している事例が少なからずあります。

国が作った制度、地方自治体が運用する制度ではありますが、そこにこそ「住民自治による民主主義モデル」があることを考えていただければ、とてもうれしく思います。
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# by maruyama_takahiro | 2014-07-23 09:56 | 日々是電網 | Comments(0)

それは『図書館』ではないの…ほんとに?

この夏、とある集まりのとあるグループワークの中での議題を考えているなかで、文字にしながら考え方を整理したいと思い、ひさびさにブログを書いてます。

テーマは、「それは『図書館』ではないの…ほんとに?」

ことの発端は、山中湖情報創造館が、「図書館」ではなく「図書館類似施設」と思われたり、「公共図書館機能」ではなく「公共図書館的機能」を持っているとされたりしたこと。誤解は解消されたので、すでにわだかまりは解消されたのですが、なぜそう捉えられたのか、そう思われてしまったのか。確かに「図書館」という名称を持たない「山中湖情報創造館」ではありますが、公式ではないものの英語表記では、"Yamanakako Public Library for the People's Creativity" としているだけあって、「類似」とか「的」といわれるのは、これまでの10年間の活動を否定されたのでは?!と感情的にもなってしまいました。

でも、どうしてそう思われたのか。
…を考えているなかで、こんな図が描けるんじゃないかなぁ〜というのがこれ。
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どうやら、強固で堅牢な、「図書館とはかくあるべし」な枠組みが存在しているように思っています。そこからちょっとでも逸脱すると、四方八方から「それは図書館ではない」「図書館にはなじまない」「図書館はそんな取り組みはしない/させない」…みたいな集中砲火!
実はかつて、私達のNPO法人地域資料デジタル化研究会の小林是綱理事長が、石和町立図書館長だった時代には、ビデオやレーザーディスクなどの映像資料の貸出を日本で最初に始めた際に、おもいっきり批判されたそうです。その後も、現在の北杜市図書館(当時、八ヶ岳大泉金田一春彦記念図書)において、利用者自身がセルフサービスで貸出返却できる自動貸出返却機を導入した際には、貸出はカウンターで人がやるもので機械がやるものではない!と、これまた業界筋から思いっきり批判されたそうです。
昨今では、指定管理者制度などにより民間の営利企業や民間の非営利団体らが図書館の管理運営をするなかで、様々な取り組みが行われていますが、ちょっとでも『図書館の枠組み』から飛び出そうものなら、「それは『図書館』じゃない!『図書館』がやるべきことではない!」といった批判が出てきます。

これまでの図書館の業界の考え方の中に、いつのまには「図書館は成長し進化するものである」という法則を忘れ、図書館はいつの時代もかくあるべし! のような固定観念に縛られた考え方がはびこっており、そこから逸脱しようものなら、なんとか理由をつけて「それは『図書館』じゃない!」と叩かれているのではないでしょうか。

そして、10年前。山中湖情報創造館を最初の指定管理者図書館事例とする際に、そんな批判を回避するために作った条文が、

 「図書館法に基づく機能を有する施設とする」

でした。考え方は右下の図です。中心に核となる「図書館機能」を置きながら、公共図書館としてのサービスを提供しつつ、設備的には貸館としての研修室があり、パブリックPCのあるマルチメディアコーナーを備えた複合施設として、また管理運営における創意工夫や取り組みは拡張できるものと…と位置づけました。その結果としての「情報創造館」なのです。これは後に、武蔵野プレイスなどの複合施設も同様のコンセプトを取り入れていると聞いています。

そうなると、これはもう「図書館」とは呼べない施設なのでしょうか?

ここのところが、冒頭の記述の誤解を生じる原因になりました。図書館の枠組みから飛び出しているから「類似施設」、公共図書館サービス以上のことに取り組んでいるから公共図書館「的サービス」…と。
今後、加速するICT環境や電子書籍などの新しい媒体による資料などを、図書館をMOOCsなどの遠隔学習の場にするなどに取り組むとなると、どうしても従来の「図書館の枠組み」から逸脱しなければなりません。そんな時に、ひとつひとつ批判や中傷をうけていたのではたまりませんから、ひとつの考え方、防護措置として、「図書館機能」という核をもちつつ、拡張する社会教育施設…という不思議な形態が生まれました。

でも実はこれ、諸外国から見れば…「それも図書館の範囲じゃないの?」とさも当然に、あっさり扱われます。そう。諸外国の図書館では、「図書館の枠組み」そのものが、弾力性があり拡張自在であり、どこまでいっても「図書館は図書館」なのです。「Public Library は、Public Library」なのです。
11年前に、ジャーナリストの菅谷明子さんが、「未来をつくる図書館」を出版され、話題になりました。帯には「え、これが図書館!」というちょっとセンセーショナルな文字がありましたが、そこまで拡張しても図書館は図書館…というのが、外国の米国の図書館に対する考え方です。
インターネット上でちょっと検索してみれば、図書館にレゴはあるし、世界中の図書館でゲームをする日はあるし、パブリックPCでお仕事をする人、スキャナーやプリンターの利用は当然、視聴覚資料だけでなくオーディオブックやゲームカセットまで貸し出し、さらに近いところでは3Dプリンタを導入して図書館内に「メイカースペース」を作る…といったことまで、すべて「図書館の枠組みの範囲」なのです。しかもそれを、業界団体であるALA(米国図書館協会)が、お墨付きを与え、全国の図書館に普及を促すほど。

まとめれば、
・これまでの日本の図書館には「図書館という堅牢な枠組み」があり、それを逸脱すると叩かれる風潮がる。
・それを回避するために、図書館機能を核とおいた複合施設として展開する手法が生み出された。が、それはもう「図書館とは呼べない」のではないか。
・いや、諸外国の図書館をみれば、図書館の枠組みは弾力性があり、時代の変化に対応しながら拡張している。それでも「図書館は図書館」として成立してる。(成長する有機体である)

という感じ。MITメディアラボ副所長である石井裕先生のいう「出杭力(でるくいりょく)」は、日本では叩かれる対象となっても、グローバルな場にでればそれは拡張のための「押出力(おしだしりょく)」としてはたらく。特に諸外国の図書館においては、そうやって時代に対応することで、図書館の社会的価値、社会的位置づけを強固なものとし、予算の獲得や資金調達、利用者への還元を果たす役割を担っている。
日本の公立図書館を始めとする社会教育施設は、図書館は、博物館は、公民館は「かくあるべし」という強固で堅牢な壁を守る姿勢から、核となる本質的な機能をしっかりと保持しつつ拡張する枠組みへと考え方を変えなければならない。
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なぜならば、それぞれの機能を有する施設が拡張するスタイルはとても「特殊事例」になってしまいます。山中湖だから、◯◯市だから…うちではできません。という…できない理由…になりがちです。一方で、枠組みそのものを柔軟に拡張するのがこれからの図書館であり博物館であり公民館であるならば、「一般事例」として全国の社会教育施設が取り入れることもできるし、それぞれの業界団体がお墨付きをあたえ普及させることも可能になります。

少なくとも今後21世紀の図書館像・博物館像・公民館像…社会教育施設像を描くには、そんな転換(外国ではあたりまえだけど)を、業界をあげて取り組まなければならない…と、思ったりもするのです。
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# by maruyama_takahiro | 2014-07-22 10:35 | これからの図書館 | Comments(0)