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震災アーカイブスとソーシャル文学

震災アーカイブスとソーシャル文学
〜電子書籍時代の物語叙述の担い手と組織化〜

丸山高弘(NPO法人地域資料デジタル化研究会/山中湖情報創造館)

電子書籍元年が不発といわれるのは、何もガジェットだけが原因ではない。むしろ電子書籍リーダーに罪があるのではなく、むしろその創作物である物語(著作)側に問題があったと考えられるのではないか。ケータイ電話のあの画面性の中で独自の文学スタイルをつくることで、「ケータイ小説」というひとつのジャンルを誕生させたことと比較すれば、ケータイ画面以上の表現力を持ち得ながら、表現スタイルを生み出す事ができなかった電子書籍(コンテンツ)側に、やはり問題があったのではないだろうか?
著者は、昨今の特徴的な物語スタイルを、電子書籍時代に向けてさらに推進させ、それがひとつのスタイルを生み出すことを期待している。しかもそれは、東日本大震災後に一種のブームにもなってきたデジタルアーカイブスなどに象徴するような「記憶の記述と組織化」にも触手を伸ばし得る。


物語記述の潮流
 「機動戦士ガンダム」をご存知だろうか?詳しい方であれば、それは「ファーストガンダム」のこと?それともUC?あるいはAGE?等々、いろいろなタイトルを出しながら確認してくるかもしれない。そうまさに「オタク」と嘲笑させるように、非常に詳しいのだ。そのひとつひとつの物語に、そしてその『世界観』に。
 「機動戦士ガンダム」は、人が乗り込む操縦型のロボットが戦争の道具として使われ、その操縦者である主人公たちの、いわは青春ドラマのようなものだ。「ファーストガンダム」「Z(ゼータ)」「ZZ(ダブルゼータ)」等々、メインストリームだけでもすでに__種類、さらにその世界観をベースにした、スピンオフあるいはサイドストーリーとよばれるものが、数多く存在している。しかもそれらが、著者や著者グループ(権利団体)だけでなく、ファンによっても生み出されている。いわゆる参加型ともいえる物語叙述世界になっているのだ。
 これはガンダムシリーズだけではない。これまでにもひとりの著者が書き表した物語においても、ひとつの物語の脇役を別の物語の主人公にしたストーリーを描くことは多々ある。夢枕獏の『キマイラ・吼(こう)』シリーズと『闇狩り師』シリーズや鎌池和馬の『とある魔術の禁書目録(インデックス)』と『とある科学の超電磁砲(レールガン)』などのように同じ世界観の物語を、登場人物を交差させながら別の物語を展開させていたりする。
 この『世界観』そのものは、現行の著作権法では著作物とは扱われないが、出版社や著者ユニットのようなスタイルで、この『世界観』と派生する物語を売り物にしていく。当然ながら、小説だけではなく、アニメ化、コミック化、キャラクター商品などの展開も視野に入れながら。
 すでに、そんな物語記述の潮流が生まれていると、著者は思うのです。


戦争文学と震災文学
 ガンダムシリーズが戦争物語であったことが何よりも象徴的なことなのだが、現実においても戦争文学は、ひとつの世界観を共有した物語記述のスタイルになるのではないか。ふと、そんなことを考えるに至っている。
 便宜上、地球儀(世界地図)を平面にとり、時間軸を高さ方向にとることで『歴史の立体』をイメージすることができる。様々な戦争文学は、その『歴史の立体』の中に紛れ込んだロープのように、場所と時間をくねくねと進みながら戦時下の物語を紡いでいる。ビジュアルをイメージしてほしい。日本各地から若者たちが招集された姿は、まるで紐が撚れていく姿のようであり、その紐が呉の港を出て坊ノ岬でぷっつりと途切れるまでが、戦艦大和の物語であったりする。
 このように、「戦争」というひとつの世界観の中で、様々な物語が生まれている。それらを、場所と時間の立方体に位置づけることで、様々な世界観を多面的に知ることができるのである。ある物語は[人物]を中心にしているかもしれない、その人物は、別の人物とかかわり合い、様々な事件や出来事の中で物語が生まれていく。この世界観の中の物語記述には、図書館情報学的な十進分類や件名づけなどの組織化では、表現しきれないのだ。
 そして、この3月の大震災を経験して、これが「戦争文学」だけではなく「大規模大害時」においても、同様に様々な物語が生まれていることを、あらためて認識している。戦争文学と比類する大規模災害文学という存在がある。ある物語は小説になり、またある物語は絵本になり、口述だけのもの、文字ではなくコミックのカタチになったもの…それは、もう実に様々だ。しかし、あの震災を、様々な場所で、いろいろなシチュエーションの中で、それぞれの人々が体験し、物語を紡いだのであれば、それはとても大きな存在ではないだろうか。


震災アーカイブの組織化
 著者は所属しているNPO法人の活動の中で、すでに十年ほどデジタルアーカイブに取り組んでいるが、東日本大震災の前と後とでは、この『デジタルアーカイブ』に対する社会の関心がこれほどまでに変化するものになるとは、予想すらしなかった。
 津波被災後にガレキ(という表現は好ましく無いのだが)にまぎれた、家族のアルバム。そこに写っている幸せな日々の思い出。自衛隊のガレキ撤去の際にも、細心の注意を払いできるかぎり回収し、持ち主に戻すように努力することが義務づけられた。それだけ、記憶の記録は大切なものであることを改めて認識させられた。これらが震災前にデジタル化され、クラウド上に保存されていたなら…と、思うことは少なく無い。
 そしてさらに、インターネット企業の呼びかけにより、被災地の姿の記録や、被災する前の想い出の風景などの記録を、参加型で構築するデジタルアーカイブの取り組みがいくつも生まれている。

 そこでとても重要なことは、誰かが分類整理するわけではない。ということだ。

 図書館の司書(ライブラリアン)のような存在がいて、投稿された写真を整理分類するわけではない。むしろ投稿者自身が、タイトルや撮影地、撮影日時、キーワードやタグといった情報を付加することによって、分類されている…デジタル技術といわゆる「フォークソノミー」によって、整理せずに整理する方法が取られている。
 これは震災アーカイブスだけではなく、震災文学においても同様の手法を取る事ができる。そうなのだ。戦争文学や震災文学においては、従来の分類方法による資料組織化だけでなく、フォークソノミーや相互関連づけなどによる資料組織化=物語と物語の有機的なつながりを生み出すプラットフォームの存在が不可欠になっていると考える。


ソーシャル文学(Social Literature)の萌芽
 そして、ひとつのスタイルとして、戦争文学や災害文学などのように、ひとつの大きな出来事の中に、それぞれの著者が自分の物語をつむぎ、歴史の立体の中に位置づけていくような、いわば「ソーシャル文学」が誕生すると考えている。
 戦争や災害などは現実におきた悲しみの記述が多いだろうが、これからの出版社や著者ユニットは、そうした『世界観』を売り物にするソーシャル文学出版を目指してはいかがだろうか? 世界観をつくるメインライターは不可欠だろうが、企画会議/編集会議的に「世界観会議」があってもよいだろうし、その世界観をもとに複数の作家が違う登場人物による物語を描き、ある場面でそれぞれの登場人物が集まって潮流が生まれる。
 また、その世界観に参加する作家を募集してもよいだろうし、コミックマーケットやPIXIVのようにアマチュアがその世界観を使って、創造の翼を大いに広げてもよいだろう。もちろん、その中には「権利ビジネス」を組み込むことを忘れない企業が大きくなっていくことは言うまでもない。

 そしてこの、「ソーシャル文学」の存在と電子書籍のコンテンツスタイルと親和性が高いのではないか。一つの物語を読みつつ、すぐ脇を進行中の別の物語に寄り道したり、主観になっている登場人物が別々の物語を行き来しながら、新しい物語を誕生させたり。

 電子書籍は、作り手だけが著述する世界ではなく、むしろ読み手側もストーリーテリングそのものに積極的に参加できる。賢い出版社は「君自身を実名でこの世界の物語に登場させてみないか」と呼びかけてくるかもしれない。ミヒャエル・エンデの「ネバー・エンディングストーリー」のように、物語の中から読者を物語世界に呼び込むことが、電子書籍の時代に本当に生まれると確信している。

 あとは、どこの出版社/編集社/著者ユニットが、それを始めるか…だ。
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by maruyama_takahiro | 2011-08-26 02:09 | 情報デザイン | Comments(0)

時間と命と記憶と図書館

実は最近ハマっていることのひとつに「時間は実在しない」というものがあります。

時間とは何か? (別冊日経サイエンス 180)

日経サイエンス


時間は実在するか (講談社現代新書)

入不二 基義 / 講談社



天動説が地動説になったからといって、人々の日常が代わらなかったように、「時間は実在しない」としたところで、私たちの日常が代わる訳ではない。ただ、少しずつではあるが考え方が代わってくるのだ。
これまでなんとなく、時間というものは過去から現在そして未来へと流れてていくものだ…などと、僕たちは教えてもらって来た(そう信じていた)。しかし、一方で時間は過去から未来へ向かうのではなく、未来から今を経て過去へ流れて行くものだ…という考え方もあったりする。正直なところ、一時的にその考え方に魅了されたりもした。しかしながら、今では、未来とか過去とかではなく、ただ「変化する今があるだけ」という考え方にしっくりきていたりする。過去は「変化する今の記憶」でしかない…と。

昨年、今年と続けて父と母を亡くした。それはそれなりにショックではあるのだけれど、生きとし生けるもの必ずどこかで「死」を迎えるのだとしたら、父も母もその時を選んだのだろうと考えるようにしている。そこにどのような意味を持たせるか持たせないかは、飽くまでも生き残っている人間たちによるものでしかない。死んでしまった事を哀しむのは生き残った者なのだ。
それでも、父の命も、母の命も、大きな時間=暦の中にあることには間違いは無いと僕は思うのだ。父は昭和8年に生まれ平成22年までの間、母は昭和13年から平成23年までの間にそれぞれが「命」tして存在していたのだ。このことは疑いも無い事実なのだ。また、僕のMacの中やflickrサイトには父や母の若い頃から今までの写真が保存されていたりする…のだが、ここで不思議な現象が起きている。それは、同じパソコンの中、ウェブサービスの中に、若い頃の父も母も、年老いた父も母も同じに存在=記録されているのだ。記録の中には[時間]は存在していない…存在したとしても、それは「並べ替えのひとつの指標でしかない」のである。

このことは、実はとても大きいことなのではないだろうか?

ふりかえって図書館の中を見ると、不思議なことがたくさんある。
すでにこの世の中には存在しない人たちの『伝記』もあれば、すでに鬼籍に入った作家の作品も少なくはない。すなわち、図書館には「今」という時間は流れているものの、そこには…その書架の中の本の中には、過去の様々な記録が存在している…しかも、平安時代だろうが、江戸時代だろうが、つい最近だろうが、未来を描いているものもあるし、ここではないどこか遠くの出来事を描いているものもある。

そう、図書館には時間も場所(空間)も越えた、様々な物語にアクセスできるという非常に不思議な場所なのだ。

命は時間=暦にべったりと貼付いていて、そこから引き剥がすことはできないにも関わらず、写真や記録や物語は、その暦から命を引き剥がすことがいとも簡単にできてしまう。図書館はそうした記録の貯蔵庫ではないだろうか?

ここには坂本龍馬もいれば、聖徳太子もいる。ナポレオンもいれば、アインシュタインもいる。
しかも、同じ空間に、読もうと思えば日本語で読めたりする。

僕は最近、時間と命と記憶と図書館…という、なんだか妙に気になるテーマを、追いかけていたりするのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-08-23 01:37 | ひとりごと... | Comments(0)

なぜ、東日本大震災だけがアーカイブの対象になるのか。

7月7日〜10日にかけて、盛岡/陸前高田/遠野/大槌…と行って来てから、少しばかりいろいろなことに手がつかなくなってしまいました。

それというのも、タイトルにもあるような疑問にすらならないような、なにかぼんやりした不安みたいなものがつきまとってしまっているようなのです。

どうして…東日本大震災がアーカイブの対象になるのでしょうか?
実際に現地にでかけて、僕もたくさんの写真を撮って来ました。中には津波で壊された個人宅ですら、写真を撮ってしまいました。そしてとても感じるのは、「僕は本当にこの風景を撮影していいのだろうか?」という疑問です。

何の縁もゆかりもない一個人が、被災地の…しかも[被災後]の風景だけを撮影する。
まず、この行為に対する…すごく深い[申し訳ない気持ち]。

そして何よりも、東日本大震災に限らず、阪神淡路大震災、中越地震、宮城・岩手内陸地震、地震以外にも多くの自然災害で破壊された人々の暮らしや変わってしまった風景があるのに、それらはアーカイブしようという気持ちにならなかったのに、なぜ東日本大震災だけがこれほどまでにアーカイブの対象になってしまうのか。
今現在でも、長野県栄村の被災状況もあるけど、それはアーカイブの対象にならない。
山体が崩壊した栗駒山だって、元の姿には戻っていない(まず無理)。
でも、それらはアーカイブの対象にはならないし、アーカイブしようとはしていない…。

この違いの、気持ち悪さ。

僕がそのことに気がついたのは、この方のアーカイブを見直してからです。

 ・災害写真(撮影:井口隆) flickr

井口(いのぐち)さんは、防災科学の観点から被災地の記録をアーカイブしているのですが、それらのほとんどの写真は[被災後]の姿なんです。家のリフォームなどでよく言う、befor / after でいえば afterのみ。そしてこれらの災害の写真から感じることは、元の風景を誰も記録していない…ということ。
ほとんどの写真は、被災してからの姿であり、そして被災してからは元の姿を撮影できないということ。

ここから僕は、ひとつの結論にたどりつけそうな気がしている。
それは

 被災地の写真を撮る時間があったら、
 今自分自身が住んでいる街の日々の姿を記録すべきじゃないのか。

 今住んでいる街が、いつどのような災害に見舞われ、その姿を変えてしまうかもしれない。そう考えると、使うべき時間は被災地の記録だけではない…そんな気がしてしかたがないのです。

 もちろん一方で、グーグルのストリートビューのようなアーカイブも存在していることを考えると、誰も彼もが自分の街を撮影し記録する必要はないだろう…という意見もあるかと思う。
 ただ、同じ場所でも季節や時間(朝・昼・夜など)ごとの風景があったりもする。

 僕は…デジタルアーカイブに関心を持っている多くの方々に伝えたい。

 「今、あなたの住んでいる街の姿を、記録してみませんか?」

と。

 僕は被災地を撮影しながら、なんともいえぬ居心地の悪さは、たぶん…そんなところに由来しているように、思うのだ。
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by maruyama_takahiro | 2011-07-24 01:43 | DigitalArchives | Comments(6)

陸前高田〜大槌町へ

僕が所属しているNPO法人地域資料デジタル化研究会として、小林是綱理事長と7月7日の夜に山梨県・石和を出発し、池袋発の夜行バスにて盛岡に行きました。
8日の早朝に盛岡駅前に到着、岩手県立図書館に立ち寄り後、レンタカーを借りて陸前高田市へ。
教育委員会の方とのミーティングの後、被災した地域資料が集められている山間の小学校に行き、資料の復旧の作業を見せていただきました。その後、陸前高田市の市民図書館(隣が博物館、公民館、体育館)に。
陸前高田市立博物館・陸前高田市立図書館・陸前高田市立体育館 2011.07.08
8日の夜は遠野市内のホテルにて一泊。9日は大槌町に出向きました。大槌町では大槌町教育委員会事務局/生涯学習課長/中央公民館長/城山公園体育館長/図書館長/B&G海洋センター所長である佐々木さんとお話しする機会を得て、小林理事長とともに山梨県のNPO法人地域資料デジタル化研究会として何ができるのかを、検討しながら被災した図書館を拝見させていただきました。
大槌町立図書館 201107.09

NPO法人地域資料デジタル化研究会としてのミッションは、3つに絞り込み取り組む事になりそうです。

それにしても、あの震災から四ヶ月になろうとしている時期ではありましたが、ガレキは分別され回収が進んでいるものの、復旧/復興にはまだまだ遠く、本当に長期にわたる支援が必要なのだなぁ…と、実感してきました。

 東日本大震災 被災地の記録 flickr
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by maruyama_takahiro | 2011-07-24 00:33 | DigitalArchives | Comments(0)

電子図書館ソフト“Greenstone”に注目中。

少し古いカレントアウェアネスの記事。

 ・オープンソースの電子図書館ソフト“Greenstone”インストールマニュアル(カレントアウェアネス)

図書館における電子図書のダウンロードサービスをもって、「電子図書館」だ!と言っている事例もありますが、電子書籍はクラウド、ライセンス契約、契約終了とともにアクセスできない電子書籍…ということでは、図書館の機能である「収集・保存」ができない電子図書館が生まれてしまうだけである。

かといって、図書館が電子資料/デジタル資料を扱うためには、どのような「書架システム」が必要か…これはとても難しい課題。すでに複数の『デジタル・アセット・マネジメント(DAM)システム』が存在しているけど、OPAC以上のシステムを使った事がない現場、導入費用もばかにならない…ということで、躊躇しがちだ。

そこで、この Greenstone は、ユネスコの支援を受けてニュージーランドのWaikato大学が開発しているオープンソースの電子図書館ソフト。つまり無料で導入できるソフトウェアなのだ。

マニュアルの日本語化はすでに某機関で取り組んでいるらしい。
ちょっとした注目のシステムだと、僕は思うね!

【参照】
 ・Greenstone Digital Library Software
 ・Greenstone (software) Wikipedia

【用語解説】
 ・DAM (digital asset management) @IT情報マネジメント用語辞典
 電子書籍に限らず、テキスト、ドキュメント、音声、画像、動画などのデジタルデータを資産として管理するシステム。
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by maruyama_takahiro | 2011-05-26 14:09 | DigitalArchives | Comments(0)

flickrを図書館で!

やさしいFlickr写真管理術 (Webアプリ―ここが知りたい)

アイティティ / 技術評論社



まずは図書館自身が、日々の図書館活動や図書館の風景、職員紹介やサービス紹介などの写真をflickrにアップしてみる。
そして次に、図書館のインターネット端末を通じて、利用者の方が flickr 使いになれるように機会(機械も)やノウハウを提供する。

flickrの使い方に関する文献は、上記の書籍の他に、こちらの雑誌に荻窪圭氏が執筆されている連載がおススメ!

写ガール (エイムック 2044)

エイ出版社

写ガール 2 (エイムック 2074)

エイ出版社

写ガール 3 (エイムック 2106)

エイ出版社

写ガール 4 (エイムック 2157)

エイ出版社

写ガール 5 (エイムック 2189)

エイ出版社



※ぼちぼち、自分で書かなくっちゃ…だよなぁ〜。

【こちらは洋書】

How to Use Flickr: The Digital Photography Revolution

Richard Giles / Course Technology Ptr

Sams Teach Yourself Flickr in 10 Minutes

Steven Holzner / Sams


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by maruyama_takahiro | 2011-05-26 01:40 | これからの図書館 | Comments(0)

震災アーカイブを超えて…

インターネット上のいたるところに、震災の記録に関するアーカイブが構築されはじめている。

 ・未来へのキオク(Google)
 ・3 がつ11にちを わすれない ためにセンター(せんだいメディアテーク)
 ・311まるごとアーカイブプロジェクト(ALL311)
 ・震災の記録を写真でのこす 東日本大震災 写真保存プロジェクト(Yahoo!JAPAN)
 ・東日本大震災アーカイブス (saveMLAK)

この他にも、公的な団体や学術研究機関、有志の個人や団体がいろいろなデジタル記録を保存する活動をしていると思われる。

僕自身もそうしたひとつに関わっているわけだが、多くのアーカイブが意識する/しないに関わらず、[囲い込み]的になっているのは、これまでにもデジタルアーカイブに関わってくる中で強く感じていたりする。

かつて、1995年の阪神淡路大震災のおり、それまでの[パソコン通信]から[インターネット]への移行を象徴する、インターVネットが登場した。今では信じられないかもしれないが、パソコン通信の時代の電子メールは同じプロバイダー(提携サービス)内でのみでのやりとりしかできなかった。それがインターネットを介すことで異なるプロバイダー間での電子メールのやりとりができるようになったのだ。

それを踏まえて現状を考えれば、東日本大震災におけるデジタルアーカイブは、それぞれの写真共有サイトやアーカイブサイトに依存するのではなく、相互にデータを閲覧/参照できるデジタルアーカイブの[上位概念]が必要ではないだろうか。ある写真はflickrに、またある写真はPicasa Webアルバムに、またある写真はWindows Live フォトギャラリーに…さらには単独のデジタルアーカイブシステム上に…それぞれのデジタルアーカイブの上位に位置し、全体を俯瞰できる[デジタルアーカイブ組織化サイト]。それをポータルサイトと呼ぶこともできるであろうが…そうした総合索引的な存在も必要ではあるが、さらに、写真共有サイトを融合できるような組織化サイト。

いま、そんなサイトが必要なのではないか…と考えていたりする。
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by maruyama_takahiro | 2011-05-15 13:53 | DigitalArchives | Comments(0)

図書館振興財団による平成23年度助成事業

昨日、茗荷谷まで出かけて、図書館振興財団様による平成23年度助成事業の申請をしてきました。
今回は、NPO法人地域資料デジタル化研究会(小林是綱 理事長)が事業主体。

私たちのNPO法人は、設立以来地域の記録として古い写真のデジタル化とアーカイビングに取り組んできました。平成19年度には山中湖村教育委員会による「山中湖古写真所在目録」を作成する中で、

 アルバムから直接デジタルカメラで撮影して、画像補正等によるアーカイブの作成

という手法を用いて、短時間で大量のデジタルアーカイブを構築する技術を開拓し、僕自身もまた父や母の葬儀の際に、自宅にあったアルバムからデジタルカメラで直接撮影する方法で、写真のデジタル化を行い、写真共有サイトで公開する…といった一連の手法を獲得してきました。

このノウハウを用いて、資料のデジタル化とそれを新しい図書館サービスに結びつける事業企画を立案しました。

デジ研がほぼ10年にわたって取り組んで来た活動、学術的なアーカイブ手法にとらわれず、さらに今まで図書館に来館したことの無い人たちにも来館する機会を提供できる新しい図書館サービス…このあたりをキーワードにしたつもりです。

結果がどうなるか楽しみではありますが、実際にこの作業を始めると…辛い場面にも立ち会わなければならないかもしれません。そんな《覚悟》を持った取り組みになりそうです。
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by maruyama_takahiro | 2011-05-14 16:58 | デジ研 | Comments(0)

御礼

母の通夜ならびに葬儀が無事に終了いたしました。

親戚のみなさま、隣組のみなさま、ご弔問にお越しいただきましたみなさま、お香典ならびに弔電をいただきましたみなさま、ブログやtwitter、facebook等を通じてお言葉をいただきましたみなさま、本当にありがとうございました。

この後、5月6日に予定していた父の一周忌を延期し、夫婦仲良く、母の四十九日法要と共に執り行う段取りなどを予定したり、あれやこれやとやらなければならないこと(これがまた実にたくさん…)があったりします。できるかぎりご迷惑をおかけしないようにとは思っておりますが、ご不便をおかけすることも多々あるかと思います。ご容赦ください。

それにしても…
 通夜・葬儀などの際に、故人の「パーソナルアーカイブ」はとても大きな存在です。〈絆〉を強く感じることができます。メモリアルホール側のメニューにもDVD作成はあるのですが、それをもう少し拡張して[故人を偲ぶアーカイブス]づくりは、多くの方々にとっても大切な記憶の共有になることを実感しました。小さなコミュニティ事業として作っていけたらいいなぁ…と、そんなことを考えております。
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by maruyama_takahiro | 2011-04-30 10:49 | 私事として... | Comments(1)

Amazon + OverDrive: 電子図書館のようなもの

これは僕の自論なのだが、電子書籍のダウンロード貸出をはじめたからといって、それがすぐに「電子図書館」だの「デジタル・ライブラリー」だのというのは、ちと早急するぎる気がする。
本当に、デジタルな図書館であるためには、何をしなければならないのか。実はまだ誰もあまり深くは考えていない(少なくとも公共図書館では)。

 ・米国Amazon.com社、Kindleに図書館から電子書籍を借りられるサービスを開始へ
  (カレントアウェアネス ポータル)

 海の向こう、米国ではすでにほとんどの公共図書館が電子書籍のダウンロード貸出を始めている。しかしそれは、カセットテープによるオーディオブックから、MP3形式の音楽データのダウンロード貸出をへて、じゃぁ次は電子書籍(eBook)だね…みたいな流れでしかない。しかもほとんどの電子書籍データは、OverDrive社のクラウド上にあり、図書館は利用料金(ライセンス料)を払い続けるだけであって、「所有」することも「保管」することもない。これは図書館機能の[柱]の一本を失うことにもつながりかねない。だから僕はこれだけでは、電子図書館/デジタルライブラリーを声を大にして言うことはできないのだ。
 一方で、利用者さんにしてみれば、図書館にいかずとも自宅からダウンロードでき、PC/Mac、iPad、SONY Reader, こんどは Amazon Kindleに取り込んで読むことができる。借りるために図書館に行くこともなければ、返却に行くことも無い。返却処理さえ2週間たてば自動的に行なってくれる。図書館側にしても、督促処理もいらないし、汚損・破損・紛失…すら無くなる。が、指摘した通り毎年公費で利用料を払っていても、所有する蔵書は何も無い図書館が出来上がるだけの[道]なのだ。

 一方、日本では興味深いことが起きている。

 ・佐賀県武雄市、iPadを活用した電子図書館サービス「武雄市MY図書館」を開始
  (カレントアウェアネス ポータル)

 さっそく、iPad アプリをダウンロードして見てみた。

 まずは武雄市/武雄市教育委員会が著作権を持っている資料のみであるが、これらの電子書籍は[武雄市]が保存し所有しているデータなのである。

 今後、公共図書館が「電子書籍」を取扱い、ましてや「ダウンロード貸出」などに取り組むにあたり、利用者の利便性は大事であるが、それ以上にそれらの資料を保存/保管し、後世にきちんと伝え残すことができるのかどうか…も、考えて行かなければならない。

 目先の便利さだけでは、公費の無駄遣いになりはしないか。よ〜く吟味する必要がある。

 一方で、僕は図書館の「自炊」が、電子図書館を実現するもうひとつの大きな要素だと考えているのだが…誰か賛同してくれる方は、いらっしゃらないだろうか?
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by maruyama_takahiro | 2011-04-23 01:05 | これからの図書館 | Comments(0)