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震災アーカイブスとソーシャル文学

震災アーカイブスとソーシャル文学
〜電子書籍時代の物語叙述の担い手と組織化〜

丸山高弘(NPO法人地域資料デジタル化研究会/山中湖情報創造館)

電子書籍元年が不発といわれるのは、何もガジェットだけが原因ではない。むしろ電子書籍リーダーに罪があるのではなく、むしろその創作物である物語(著作)側に問題があったと考えられるのではないか。ケータイ電話のあの画面性の中で独自の文学スタイルをつくることで、「ケータイ小説」というひとつのジャンルを誕生させたことと比較すれば、ケータイ画面以上の表現力を持ち得ながら、表現スタイルを生み出す事ができなかった電子書籍(コンテンツ)側に、やはり問題があったのではないだろうか?
著者は、昨今の特徴的な物語スタイルを、電子書籍時代に向けてさらに推進させ、それがひとつのスタイルを生み出すことを期待している。しかもそれは、東日本大震災後に一種のブームにもなってきたデジタルアーカイブスなどに象徴するような「記憶の記述と組織化」にも触手を伸ばし得る。


物語記述の潮流
 「機動戦士ガンダム」をご存知だろうか?詳しい方であれば、それは「ファーストガンダム」のこと?それともUC?あるいはAGE?等々、いろいろなタイトルを出しながら確認してくるかもしれない。そうまさに「オタク」と嘲笑させるように、非常に詳しいのだ。そのひとつひとつの物語に、そしてその『世界観』に。
 「機動戦士ガンダム」は、人が乗り込む操縦型のロボットが戦争の道具として使われ、その操縦者である主人公たちの、いわは青春ドラマのようなものだ。「ファーストガンダム」「Z(ゼータ)」「ZZ(ダブルゼータ)」等々、メインストリームだけでもすでに__種類、さらにその世界観をベースにした、スピンオフあるいはサイドストーリーとよばれるものが、数多く存在している。しかもそれらが、著者や著者グループ(権利団体)だけでなく、ファンによっても生み出されている。いわゆる参加型ともいえる物語叙述世界になっているのだ。
 これはガンダムシリーズだけではない。これまでにもひとりの著者が書き表した物語においても、ひとつの物語の脇役を別の物語の主人公にしたストーリーを描くことは多々ある。夢枕獏の『キマイラ・吼(こう)』シリーズと『闇狩り師』シリーズや鎌池和馬の『とある魔術の禁書目録(インデックス)』と『とある科学の超電磁砲(レールガン)』などのように同じ世界観の物語を、登場人物を交差させながら別の物語を展開させていたりする。
 この『世界観』そのものは、現行の著作権法では著作物とは扱われないが、出版社や著者ユニットのようなスタイルで、この『世界観』と派生する物語を売り物にしていく。当然ながら、小説だけではなく、アニメ化、コミック化、キャラクター商品などの展開も視野に入れながら。
 すでに、そんな物語記述の潮流が生まれていると、著者は思うのです。


戦争文学と震災文学
 ガンダムシリーズが戦争物語であったことが何よりも象徴的なことなのだが、現実においても戦争文学は、ひとつの世界観を共有した物語記述のスタイルになるのではないか。ふと、そんなことを考えるに至っている。
 便宜上、地球儀(世界地図)を平面にとり、時間軸を高さ方向にとることで『歴史の立体』をイメージすることができる。様々な戦争文学は、その『歴史の立体』の中に紛れ込んだロープのように、場所と時間をくねくねと進みながら戦時下の物語を紡いでいる。ビジュアルをイメージしてほしい。日本各地から若者たちが招集された姿は、まるで紐が撚れていく姿のようであり、その紐が呉の港を出て坊ノ岬でぷっつりと途切れるまでが、戦艦大和の物語であったりする。
 このように、「戦争」というひとつの世界観の中で、様々な物語が生まれている。それらを、場所と時間の立方体に位置づけることで、様々な世界観を多面的に知ることができるのである。ある物語は[人物]を中心にしているかもしれない、その人物は、別の人物とかかわり合い、様々な事件や出来事の中で物語が生まれていく。この世界観の中の物語記述には、図書館情報学的な十進分類や件名づけなどの組織化では、表現しきれないのだ。
 そして、この3月の大震災を経験して、これが「戦争文学」だけではなく「大規模大害時」においても、同様に様々な物語が生まれていることを、あらためて認識している。戦争文学と比類する大規模災害文学という存在がある。ある物語は小説になり、またある物語は絵本になり、口述だけのもの、文字ではなくコミックのカタチになったもの…それは、もう実に様々だ。しかし、あの震災を、様々な場所で、いろいろなシチュエーションの中で、それぞれの人々が体験し、物語を紡いだのであれば、それはとても大きな存在ではないだろうか。


震災アーカイブの組織化
 著者は所属しているNPO法人の活動の中で、すでに十年ほどデジタルアーカイブに取り組んでいるが、東日本大震災の前と後とでは、この『デジタルアーカイブ』に対する社会の関心がこれほどまでに変化するものになるとは、予想すらしなかった。
 津波被災後にガレキ(という表現は好ましく無いのだが)にまぎれた、家族のアルバム。そこに写っている幸せな日々の思い出。自衛隊のガレキ撤去の際にも、細心の注意を払いできるかぎり回収し、持ち主に戻すように努力することが義務づけられた。それだけ、記憶の記録は大切なものであることを改めて認識させられた。これらが震災前にデジタル化され、クラウド上に保存されていたなら…と、思うことは少なく無い。
 そしてさらに、インターネット企業の呼びかけにより、被災地の姿の記録や、被災する前の想い出の風景などの記録を、参加型で構築するデジタルアーカイブの取り組みがいくつも生まれている。

 そこでとても重要なことは、誰かが分類整理するわけではない。ということだ。

 図書館の司書(ライブラリアン)のような存在がいて、投稿された写真を整理分類するわけではない。むしろ投稿者自身が、タイトルや撮影地、撮影日時、キーワードやタグといった情報を付加することによって、分類されている…デジタル技術といわゆる「フォークソノミー」によって、整理せずに整理する方法が取られている。
 これは震災アーカイブスだけではなく、震災文学においても同様の手法を取る事ができる。そうなのだ。戦争文学や震災文学においては、従来の分類方法による資料組織化だけでなく、フォークソノミーや相互関連づけなどによる資料組織化=物語と物語の有機的なつながりを生み出すプラットフォームの存在が不可欠になっていると考える。


ソーシャル文学(Social Literature)の萌芽
 そして、ひとつのスタイルとして、戦争文学や災害文学などのように、ひとつの大きな出来事の中に、それぞれの著者が自分の物語をつむぎ、歴史の立体の中に位置づけていくような、いわば「ソーシャル文学」が誕生すると考えている。
 戦争や災害などは現実におきた悲しみの記述が多いだろうが、これからの出版社や著者ユニットは、そうした『世界観』を売り物にするソーシャル文学出版を目指してはいかがだろうか? 世界観をつくるメインライターは不可欠だろうが、企画会議/編集会議的に「世界観会議」があってもよいだろうし、その世界観をもとに複数の作家が違う登場人物による物語を描き、ある場面でそれぞれの登場人物が集まって潮流が生まれる。
 また、その世界観に参加する作家を募集してもよいだろうし、コミックマーケットやPIXIVのようにアマチュアがその世界観を使って、創造の翼を大いに広げてもよいだろう。もちろん、その中には「権利ビジネス」を組み込むことを忘れない企業が大きくなっていくことは言うまでもない。

 そしてこの、「ソーシャル文学」の存在と電子書籍のコンテンツスタイルと親和性が高いのではないか。一つの物語を読みつつ、すぐ脇を進行中の別の物語に寄り道したり、主観になっている登場人物が別々の物語を行き来しながら、新しい物語を誕生させたり。

 電子書籍は、作り手だけが著述する世界ではなく、むしろ読み手側もストーリーテリングそのものに積極的に参加できる。賢い出版社は「君自身を実名でこの世界の物語に登場させてみないか」と呼びかけてくるかもしれない。ミヒャエル・エンデの「ネバー・エンディングストーリー」のように、物語の中から読者を物語世界に呼び込むことが、電子書籍の時代に本当に生まれると確信している。

 あとは、どこの出版社/編集社/著者ユニットが、それを始めるか…だ。
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by maruyama_takahiro | 2011-08-26 02:09 | 情報デザイン | Comments(0)

時間と命と記憶と図書館

実は最近ハマっていることのひとつに「時間は実在しない」というものがあります。

時間とは何か? (別冊日経サイエンス 180)

日経サイエンス


時間は実在するか (講談社現代新書)

入不二 基義 / 講談社



天動説が地動説になったからといって、人々の日常が代わらなかったように、「時間は実在しない」としたところで、私たちの日常が代わる訳ではない。ただ、少しずつではあるが考え方が代わってくるのだ。
これまでなんとなく、時間というものは過去から現在そして未来へと流れてていくものだ…などと、僕たちは教えてもらって来た(そう信じていた)。しかし、一方で時間は過去から未来へ向かうのではなく、未来から今を経て過去へ流れて行くものだ…という考え方もあったりする。正直なところ、一時的にその考え方に魅了されたりもした。しかしながら、今では、未来とか過去とかではなく、ただ「変化する今があるだけ」という考え方にしっくりきていたりする。過去は「変化する今の記憶」でしかない…と。

昨年、今年と続けて父と母を亡くした。それはそれなりにショックではあるのだけれど、生きとし生けるもの必ずどこかで「死」を迎えるのだとしたら、父も母もその時を選んだのだろうと考えるようにしている。そこにどのような意味を持たせるか持たせないかは、飽くまでも生き残っている人間たちによるものでしかない。死んでしまった事を哀しむのは生き残った者なのだ。
それでも、父の命も、母の命も、大きな時間=暦の中にあることには間違いは無いと僕は思うのだ。父は昭和8年に生まれ平成22年までの間、母は昭和13年から平成23年までの間にそれぞれが「命」tして存在していたのだ。このことは疑いも無い事実なのだ。また、僕のMacの中やflickrサイトには父や母の若い頃から今までの写真が保存されていたりする…のだが、ここで不思議な現象が起きている。それは、同じパソコンの中、ウェブサービスの中に、若い頃の父も母も、年老いた父も母も同じに存在=記録されているのだ。記録の中には[時間]は存在していない…存在したとしても、それは「並べ替えのひとつの指標でしかない」のである。

このことは、実はとても大きいことなのではないだろうか?

ふりかえって図書館の中を見ると、不思議なことがたくさんある。
すでにこの世の中には存在しない人たちの『伝記』もあれば、すでに鬼籍に入った作家の作品も少なくはない。すなわち、図書館には「今」という時間は流れているものの、そこには…その書架の中の本の中には、過去の様々な記録が存在している…しかも、平安時代だろうが、江戸時代だろうが、つい最近だろうが、未来を描いているものもあるし、ここではないどこか遠くの出来事を描いているものもある。

そう、図書館には時間も場所(空間)も越えた、様々な物語にアクセスできるという非常に不思議な場所なのだ。

命は時間=暦にべったりと貼付いていて、そこから引き剥がすことはできないにも関わらず、写真や記録や物語は、その暦から命を引き剥がすことがいとも簡単にできてしまう。図書館はそうした記録の貯蔵庫ではないだろうか?

ここには坂本龍馬もいれば、聖徳太子もいる。ナポレオンもいれば、アインシュタインもいる。
しかも、同じ空間に、読もうと思えば日本語で読めたりする。

僕は最近、時間と命と記憶と図書館…という、なんだか妙に気になるテーマを、追いかけていたりするのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-08-23 01:37 | ひとりごと... | Comments(0)

【おススメ】石井裕氏インタビュー(日経ビジネス Associe 2011年 8/16号)

日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 8/16号 [雑誌]

日経BPマーケティング



おススメです。特に図書館や情報に関わる方々には、ぜひこのインタビュー記事を読んでいただきたい。

p092 ロングインタビュー
石井裕
米マサチューセッツ工科大学メディアラボ副所長
震災を受け止め、ゼロから未来を創るために
若い世代とデジタル技術ができること


このインタビューの中にある(以下、引用)

“情報伝達の専門チーム、情報のハブになるコーディネーターがいてもいいのではないでしょうか。情報収集に長け、優先度づけの能力と権限を持ち、支援のない状況下でも通信を続けられる、ハードとソフト両方のスキルがある人を育てていくのです。”

 僕は図書館員がまさにそんなスキルを持った人材なのではないかと思っている。被災地で図書館を閉鎖せざるを得ない状況であっても、災害対策本部や避難所において[情報のエキスパート]としてのスキルを発揮できる…と。ただ、これまでのような[文献]や[書籍]中心であっては、なかなか難しい事も感じました。地域の方々の情報要求に応えるために、収集・整理・保存・提供を行なうライブラリアン。そんなビジョンを描き始めていたりします。

 それと、やはり「レジリアント(弾力性のある、回復が早い)」は、キーワードですね。

resilient
形容詞
1 〈物が〉はね返る;弾力のある;〈食物が〉歯ごたえのある.
2⦅ほめて⦆〈人性格などが〉(病気逆境などから)すぐに立ち直れる, すぐ元気になる, 快活な;〈動物樹木などが〉回復力のある.
resiliently
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by maruyama_takahiro | 2011-07-25 14:00 | おススメ | Comments(0)

天外伺朗氏 in TEDxTokyo2011



土井さんには、NEWS & QuarterL 時代にお世話になりました。
天外さんの著書に登場したバースコーディネータさんにもお世話になりました。
「フロー理論」って、面白いね!

天外司朗著書

運命の法則―「好運の女神」と付き合うための15章

天外 伺朗飛鳥新社

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チクセントミハイ著書

フロー体験入門―楽しみと創造の心理学

M.チクセントミハイ / 世界思想社

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書き込んでいるアイテムはこちら。
住友スリーエム [ポスト・イット / Post it] イーゼルパッド ホワイト 762mm×634mm 30枚 EASEL 560
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by maruyama_takahiro | 2011-05-22 02:33 | 日々是電網 | Comments(0)

石井裕先生 in TEDxTokyo2011



MITメディアラボ副所長の石井先生によるTEDxTokyo2011でのプレゼンテーション。
先ほど終わったばかりなのに、すでに公式YouTube動画でアップされてます。

ぜひご覧ください。

AXIS ( アクシス ) 2009年 12月号 [雑誌]

アクシス


メディア・リテラシー―世界の現場から

菅谷 明子 / 岩波書店

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未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―

菅谷 明子 / 岩波書店

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by maruyama_takahiro | 2011-05-21 18:42 | 日々是電網 | Comments(0)

震災被災県の写真集

国立国会図書館は、東日本大震災被災県の写真集リストを作成した。

 ・国立国会図書館、「東日本大震災被災県の写真集リスト」を公開(カレントアウェアネス)

 ・東日本大震災被災県の写真集リスト(リサーチ・ナビ)

ここにリストアップされた写真集は、被災する前の地域の風景や祭事などを記録した、いわば[郷土写真集]である。震災により二度とこの目で見る事ができないかつての町並み。せめて記録されている写真で思い出す手がかりとなる記録。こうした写真集リストがまとめられることに、敬意を表する。


…しかし…である。
この先、本当に必要なのは[写真集]のリストではない。
それぞれの写真集に掲載されている1点1点の写真が検索可能でなければならない。そしてさらに、それぞれの写真を、なんらかのキュレーションによってオーサリングできる環境も必要ではないだろうか。

それはあたかも、iTunes でCDから取り込んり、ダウンロードした楽曲からプレイリストを作る様なもの。

 [写真集 ]ー[写真]ー[キュレーティング・リスト]
 [アルバム]ー[楽曲]ー[プレイリスト]

まだまだ、『図書館』でいるうちは、検索対象は「図書」にならざるを得ないのかもしれないが、そう遠く無い将来を見越して、写真集ならば掲載されている一点一点の写真を、同様に画集やデザイン集などは、それぞれの作品毎の情報を扱える…そんなシステムが必要ではないだろうか。
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by maruyama_takahiro | 2011-05-21 01:10 | 情報デザイン | Comments(0)

情報の本質 マルヤマ式FBBモデルの提言

「情報」という単語は、そもそも軍隊用語である。諜報とほぼ同じ意味であり、敵の情況/状況を知りそれを意思決定者に過不足無く届けくるもの。敵における「情状の報知」これが略されて「情報」となった…という説を私は取りたい。一部には、森鴎外による訳語/造語であるとの考え方もあるが、実際には森鴎外よりも先に「情報」という言葉が使われている文献もある。

阪神・淡路大震災においても「情報ボランティア」による活動がポイントであったが、今回の東日本大震災においてもやはり「情報」が生死を分け、「情報」が生き残った被災者の方々の暮らしぶりを左右している。
僕自身は現場に行くこともなくのうのうと日々を暮らしてはいるが、「情報」に関してはそれなりのプロ/エキスパートとしての気持ちもあるので、被災地における情報システムの構築に、少しでも役に立てることができれば…と、このブログを書いている。

まず、発災時においては、災害対策本部も避難所も、ボランティアセンターも「情報担当者」を置くことを提案したい。それどころの状況ではないことは充分承知はしているものの、戦時(有事)においても災害発生時においても、「情報の専門家」をそこに置くか置かないかで、後々の展開は大きく変わる。そのことはぜひご理解いただきたい。
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この図は、日常においても災害時においても、基本となる情報のモデルである。
どこまでシンプルにできるか…とおもって書いたものだが、行き着いたところは…

 FBBモデル
 Front-Base-Board モデル

である。これをいち早く構築するかどうかで、その後の展開が大きく変わってくるし、まだ構築できていないところは、ぜひこのモデルの採用を検討して欲しい。

Base:まずは、中央のBaseを立ち上げることだ。
これは「情報担当責任者」を一名選出し、災対本部や避難所で[情報の拠点]を作ってしまうことだ。電気や電話、インターネットが遮断されていれば、紙と鉛筆、模造紙とマーカーだけでもいい。まずは「その場所」における「情報拠点」を作る。

Board:次はBaseが収集した情報を「その場所」にいる、意思決定者や避難者等で情報共有が出来る板(ボード)を作ることである。そこには様々な情報が掲示され、時々刻々と貼り変えられ情報が更新されていく。ここで最も重要なことは、「その場所」における意思決定者(指揮官/司令官/Commander)、意思決定者グループが情報を共有できるボードを作ることだ。これにより現場リーダーは、次に何を行ない、誰に何を指示するかを判断できる。正確な情報が正確な判断を導くことはあっても、間違った情報が正しい判断を導くことはない。
ちなみに…非営利団体などにおける理事会をBoard Memberと呼ぶのだが、意志決定の為のボード(板)を見ながら意見を言い合い意思決定をする…そんな場面から、そう呼ぶようになったのではないだろうか…と、思いをめぐらせてみたりもしている。

Front: BaseやBoardが構築できたら、外に出て様々な情報を収集する[最前線チーム]が必要となる。もちろん危険なことは避け、安全を確保しながらの情報収集が必要だ。行く先々であるときは御用聞きになったり、あるときは避難所の場所を説明したり、そんな「最前線 Frontチーム」。彼ら彼女らには、何らかの移動手段が必要であり、バイクやオートバイ、時にはレジャー用のATVなども災害時には有効な乗り物であると考えている。移動手段、通信手段(アマチュア無線や携帯電話)、カメラ、筆記具、ボイスレコーダ…等々を装備として備えて被災地における状況を把握する。

この3つの、Front(前線)、Base(基地)、Board(情報共有の掲示板) と、この3つのモデルを早期に立ち上げることができれば、そこではより正しい意思決定を行動が取れる。


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上記の図は構造をシンプルにするために描いたものだが、実際には複数のFront(前線あるいは情報源)からの得られる[情状の報知=情報]を、Base(基地局)がそれぞれの方法で受け取る。放送メディアからならば、テレビやラジオなどが情報通信の道具として必要となり、行政などからの情報は防災無線やインターネットなどが必要だろう、さらには現場からの報告にはアマチュア無線機などの通信手段が必要である。
しかしながら…最低限のモデルを考え、 Frontからは口述による伝言/伝令、Baseでは紙と鉛筆で情報化し、Boardはそのへんの壁でもいい。ICTというとパソコンやインターネットなどをイメージしがちがだ、ICTとはInformation Communication Technology=情報通信技術なのだ。これには狼煙(のろし)だって、伝書鳩だって、手旗信号だってモールス信号だって含まれる。Baseにおける情報通信担当者はひとつの通信手段に捕われることなく、ありとあらゆる手段を使って、情報の受信/送信の道を確保することを考えておかなければならない。アレが無いから出来ない、コレがないと役に立てない…などということはないのだ。


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ではその肝心なBase(基地局)となる情報担当責任者は、どのような作業を担うのだろうか。これがその図である。Front(現場)からの情報をいかに収集し、それらを整理して意思決定者に提供する。さらに保存や情報発信の役目も担うことになる。そう。それはまるで「図書館員」や「ライブラリアン」が日々行なっている業務(サービス)に酷似しているのだ。図書館員は日々何万冊、何十万冊という図書を管理し、しかも求める人にすばやく資料探して提供する…いわゆる大量の情報と求める人にマッチングさせるプロフェッショナルなのだ。
今回の被災地において気になったのは、そうしたスキルを持った図書館員(公務員)は、避難所にかり出されながらも、そうした情報担当責任者になることはなく、ただの人足として使われていると聞く。それゆえなのか、救援物資やボランティアの人員があふれているところは断るくらいあふれているのに、不足しているところは一ヶ月を経過した今現在でも充分に行き渡っていない。これはすべて《マッチングのミス=ミスマッチング》によって引き起こされている人災である。図書館員のような情報のプロフェッショナルを、情報担当責任者に据えることで、ミスマッチを減らし、過不足なく求める物資や人手を求める場所に送るための情報提供ができる。

ひとまず、できるだけシンプルなカタチで基本形態を書いてみた。
FBBモデル。Front-Base-Board。この3つを災対本部や避難所、ボランティアセンターで取り入れてみては、いかがだろうか。
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by maruyama_takahiro | 2011-04-19 03:21 | 情報デザイン | Comments(0)

物語の力(「私」という物語)

今日は「物語の力」をデジタルやネットワークとは違う視点で。

「私」という物語
 人は誰でもどんな人でも、一生にひとつの物語を紡ぐ事ができる。それは「私」という物語だ。どこかの小説家が、文書教室風な場で語る事らしいが、ぼくもそうだと思う。この世に生をうけて、あの世にいくまでの、ほんの数十年間の間。これは「命が紡ぎ出す物語」なんだ。そう僕は考えています。そしてまさに、丸山高弘物語の50年目に突入するいま、この先どこで物語が終わるのか…いやいや、まだまだこれからがクライマックスだぜ!と激動の物語を生きるのか…どちらにしても、人生=物語説は、真実だと考えている。

三つ子の魂百まで
 そんな諺(ことわざ)がある。双子や三つ子ちゃんの話ではない(あたりまえだと思うだろうけど、僕自身けっこう大人になるまでほんとうに三つ子ちゃんのことだと思っていた。代表格はトン吉、チン平、カン太、おやつあげないわよ!)。
 この三つ子は、三歳児のことを指す。三歳あたりで培った感覚、経験、記憶…それは意識する/しないに関わらず百歳まで影響するのだ…ということを経験知として諺化したもの。これはこれでたぶんある程度は正しいのだと思う。この言葉を別のアプローチからは「人は三歳くらいに、自分の人生のシナリオをほぼつくってしかう」とか「三歳くらいに、自分という物語の主人公のキャラクタ設定を作ってしまう」という意見もあるようだ。
 そう。いわゆる物心つくときに、この先の人生を生きるために「私という主人公の性格設定」は不可欠。親との関係においても、兄弟姉妹や、親戚や、保育園/幼稚園などの集団生活などにおいても、まずは「自分というキャラクター」を形づくっておくことは、生きる知恵として充分に考えられる。たぶん、この諺に込められた想いは、そんな意味なのかもしれない。

三つ子でつくるキャラクター
 三歳児が突然自分と言うキャラクター設定が出来る訳ではない。当然ながら、その「モデル」の存在が欠かせないのだが…三歳児までが出会うモデルとなるキャラクターは、当然ながら「親」であり、「兄弟姉妹」である。この限られたモデルの中から取捨選択しながら、自分というキャラクターを設定しなければならないのは、いささか不自由である。さすがに三歳児はそのことを充分に心得ているようで、このあたりから自主的に「お話し読んでー」が始まる。もちろんはやい子は片言が話せるようになると言い始める。自分の言葉が発せないうちからも、実はこの[キャラクター設定モデル要求]は始まっていたりする。という理由のもとで、僕はブックスタートを始めとした乳幼児からの親による読み聞かせは、その子自身の「キャラクター設定モデルづくり」に欠かせない栄養素だと考えている。選択肢が多いほど、組み合わせる性格が多いほど、自分自身のキャラクターづくりにはバリエーションが増える。またこの時期のテレビ番組のヒーロー/ヒロインからの影響も実は少なくない。幼児期に熱中したヒーロー/ヒロインによる[正義感のタネ]は、三つ子の魂を作る上でも必要な栄養素のひとつなのではないか…と、考えている。

三つ子までのキャラクター設定
 正直なところ三歳児までに…と限定する根拠はないのだが、親が子どもにできることとして

1.お腹の中にいるときから話しかける/物語を聞かせる。
2.生まれてからもできるだけいろいろな物語を聞かせてあげる。
3.言葉とか知恵とかよりも、お話しのバリエーション(バランスのよい栄養)を与えてあげる
4.子どもは、親が自分のために時間を割いてくれることがまず嬉しいものだと思って接する
5.子ども自身が持ち始めるヒーロー/ヒロイン像を大切にする。

まぁ、そんなことをしているうちに、三歳児ながらも「僕は正義の味方」とか「私は小さい子にやさしくするお姉さん」とか、そんなキャラクター設定をし、それは恐ろしい事に百歳まで影響したりする。
だからこそ、身近な大人(親の場合が多いが親に限定する訳ではない)が、子どもたちに古今東西、多種多様な物語を読んで聞かせてあげることは、とっても大切なことなのだと、僕は考えている。

キャラクター設定が本人の意思だけではないという問題点
 このキャラクター設定には、本人の意思が最優先されることではあるのだけれど、実はこんなものが影響したりする。
 1)親との関係性、親からの期待に応えるキャラクターづくり
 2)兄/姉との関係性、弟・妹としての役割づくり
 3)弟/妹との関係性、兄・姉としての役割づくり
 4)近所の子どもたち集団、自然に生まれる上下関係の中での役割づくり
 5)親戚/親類/縁者との関係の中でのキャラクターづくり
 人間はどんなに小さな子どもでも社会性の中で生きていることには変わりないので、どうしてもその関係性の中で、自分が望むと望まざるとに関わらず何らかの役割を演じるキャラクターを作ってしまう。そして一度できてしまった関係性の中でのキャラクター設定は、本当に恐ろしいくらいに…たぶん諺通り百歳まで変わらないのだ。(ほんとに、実に恐ろしい事です)

このキャラクター設定は物語なのだ
 さて、ことわざをそのまま受け取れば、三歳児につくった自分というキャラクター設定は百歳まで影響し続ける…となりますが、考えてもみてください。これは自分自身で書くシナリオなんです。当然ながら自分自身で書き直すこともできるのです。そのことにまず気がつくことが大切です。これも「物語の力」といえるでしょう。自分自身の物語は、自分自身で書きながら私の人生を生きている。そう意識できることが何よりも大切。そう意識できれば自分の力で書き換えることも不可能ではないのです。
 ただ…前述のとおり、関係性の中でできてしまった役割づくりは、自分自身ではなかなか書き換えることができません。書き換えが難しいなぁ…と意識するところからはじまりますが、本当に全面的に書き換えが必要だと思ったら…例え、親兄弟親戚であっても、いったん距離を置く事も大切です。
 正直なところ、これを僕は実感しました。どうしても親戚が集まる場所では、その関係性の中での[役割キャラクター]が出て来てしまいます。同級会などでもそう。場合によっては前の会社の上司や部下などと出会ってしまった場合もそう。その時の[関係性の役割キャラ]が出て来てしまうのです。

人生は選択の連続、物語もまた選択の連続
 私という人生は物語である。そして私と言うキャラクターを設定したのも私自身である。そんな中で、様々な状況で、場面場面で決断をし、人生を生きるわけなのだけれど、ここで「物語の力」がとても大切になる。
 これは、図書館という場が『人生のQ&Aに満ちている』と感じてから、なお一層強まって来た。親友の彼氏を好きになっちゃった…。会社存亡の危機。大切な試験に落ちてしまって人生絶望のどん底…などなど、極端な出来事もあれば、ごくごく日常的なこともあるけど、古今東西、老若男女、津々浦々…の物語をくまなく探せば、私が今直面している課題を解決するためのヒントが書かれている物語がある。私のこの状況は人類史上私がまったくの初めて!なんてことは、まず無い。と思うほど、なのである。極論すれば、史実も創作も神話もドキュメンタリーもありとあらゆる物語には、「これからを生きる人のための人生のヒント、人生のQ&Aが書かれている」と僕は確信している。

 正直なところ、今の図書館ではそのための検索方法、検索手段を持ち合わせていはいない。ただ、今後は「文献を探すのが図書館」という枠から離れて、「私が直面している状況に似ている物語を探して、その登場人物たちはどう解決したの、さらにどんな課題に直面したの?」という問いかけに応え相応しい物語を探し出すお手伝いをしていきたいと考えている。

 「物語」は、単純に文学としての芸術鑑賞でもなければ、レクリエーションとしての時間つぶしではない。そこには「人生のQ&A」に満ちあふれた世界があるのだ。

 僕は「物語の真の力」は、そんなところにあるのだと、考えながら図書館の仕事をしていたりする。
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by maruyama_takahiro | 2011-01-08 00:39 | 日々是電網 | Comments(2)

物語の力(「物語」ってほんとうにすごいですねぇ)

地域における文化資源を情報化し、相互に関連づけながら参照できるシステムとして「多種類情報資源相互参照システム」を考案し、その改良型によってとてもシンプルなデータベース構造(アーキテクチャー)ができたのは良いのだが、この記述が実にめんどくさい。

例えばこんな具合

 人物:丸山高弘ー(指定管理者館長)ー施設:山中湖情報創造館
 人物:丸山高弘ー(副理事長)ー団体:NPO法人地域資料デジタル化研究会
 団体:NPO法人地域資料デジタル化研究会ー(指定管理者)ー施設:山中湖情報創造館
 団体:山中湖村教育委員会ー(設置者)ー施設:山中湖情報創造館

とこんなのが、果てしなく続く。
ところが…である。ふとあるときに気がついたのです。
上記の表現は、

 山中湖村教育委員会が設置する山中湖情報創造館は、NPO法人地域資料デジタル化研究会が指定管理者となり、同団体の副理事長である丸山高弘が、指定管理者館長をつとめている。

 というひとつの文章で表現できてしまうのだ。物語による記述方法によって、人物も団体も施設も,その他様々な情報資源を、相互の関係づけも記述しながら組織化できてしまう。しかも多少矛盾があろうが記述そのものは成立してしまうのだ。
 この事に気がついたとき、「物語」の持つ情報組織力のすごさに、あらためて気がつくことになったのです。

以下は、Wikipediaからの引用。今年の大河ドラマ「江(ごう)」である崇源院からの抜粋

崇源院(す(そ)うげんいん、天正元年(1573年) - 寛永3年9月15日(1626年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。位階は従一位。
浅井長政の三女。母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいる。
最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。二度目の婚姻相手は豊臣秀勝で、娘の完子が生まれる。三度目は江戸幕府二代将軍徳川秀忠と文禄4年(1595年)再々嫁し、秀忠の正室(継室)となる。この時、江が徳川秀忠と再々婚したことで、娘の完子は伯母の淀殿に引き取られ養われる。
また、第109代明正天皇の外祖母でもある


この文章を、多種類情報資源層ご参照システムで記述すると、こうなる

 人物:崇源院ー(よみ)ーふりがな:す(そ)うげんいん
 人物:崇源院ー(生年月日)ー日付:天正元年(1573年)
 人物:崇源院ー(没年月日)ー日付: 寛永3年9月15日(1626年11月3日)
 人物:崇源院ー(位階)ー単語:従一位
 人物:崇源院ー(三女:父)ー人物:浅井長政
 人物:崇源院ー(三女:母)ー人物:市
 人物:市ー(娘:父)ー人物:織田信秀
 人物:市ー(妹:兄)ー人物:織田信長
 人物:崇源院ー(末妹:長姉)ー人物:淀殿(茶々)
 人物:淀殿(茶々)ー(側室)ー人物:豊臣秀吉
 人物:崇源院ー(末娘:次姉)ー人物:常高院(初)
 人物:常高院(初)ー(正室)ー人物:京極高次
 人物:京極高次ー(猶女)ー人物:鷹司孝子
 人物:崇源院ー(婚姻:一度目)ー人物:佐治一成
 出来事:離縁ー(によって)ー人物:豊臣秀吉
 人物:崇源院ー(婚姻:二度目)ー人物:豊臣秀勝
 人物:崇源院ー(子:娘)ー人物:完子
 人物:崇源院ー(婚姻(正室):三度目:文禄4年(1595年))ー人物:徳川秀忠
 人物:徳川秀忠ー(役職)ー単語:江戸幕府二代目将軍
 人物:完子ー(引き取られる:伯母)ー淀殿
 人物:崇源院ー(外祖母)ー人物:明正天王(第109代)

と、このくらいの記述が必要になる。それをWikipediaでは、あっさりと[物語]として記述できてしまうのだ。

ただ残念なことに、「物語」による情報の組織化には、不都合もある。

1)機械的に読み解くことが困難。
 たとえOCRで文章をテキスト化できたとしても、それが何を表しているのか、それぞれはどういう関係性を持つのかを、機械的に読取り判断することはまだ難しい。しかも、関係性に矛盾が生じる場合すらある。

2)時系列、場所等の飛躍は激しい
 物語の時系列はとても優柔不断。冒頭に時系列的には結末があり、次の章から時間をさかのぼって記述される場合もある。場面においても、とつぜんまったく離れた場所での物語が何の予告も無く割り込んで来たりする。

 などなど…
 「物語」によって組織化された情報は、人が読み解かなければ、それぞれの単位や関係性などを読み解くことは、今のデジタル技術ではまだ難しい。

とはいうものの、この「物語」の持つ情報組織化の融通性(フレキシビリティ)、多様性、柔軟性、可搬性、継承性、再現性等々において、まことに優れた機能を持っている…と、僕は考えるのです。

※そしてさらに、物語による情報の組織化と、この多種類情報資源相互参照システムは、思いも拠らないカタチで、最新のWeb技術に登場することになりそうなのです。正直なところ僕もびっくり!…キーワードは「セマンティック」
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by maruyama_takahiro | 2011-01-05 23:43 | 日々是電網 | Comments(1)

物語の力(多種類情報資源相互参照システム)

「物語化」という情報の組織化手法に気がつく事ができたのは、実はとある地域情報提供のためのシステムを開発している時でした。

かなり昔、「SuperINDEX(スーパーインデックス)」というシステムのコンセプトを考えたこともあったのですが、それは企画だけでシステム化するには至らず、具体的に作り始めたのは「すたまオープンミュージアム」という地域資源を博物館のように散策できる電子博物館のようなサイトでした。

原型となった「SuperINDEX」
 今思えば、ひとつのパスファインダーのようなシステムでした。あるテーマに関して、関連する書籍、論文、場所(研究施設等)、人物(研究者/著者等)、イベントをひとつの検索結果として表示するものです。

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テーマ :ヤマネ
-------
関連図書:
研究論文:
関連施設:
研究者 :
イベント:
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をひとめで見る事ができるもの。さらには、関連図書にフォーカスするとその関連書籍が、ヤマネ以外にも関連づけられているテーマを持っているとか、イベントであればそのイベントの主催者や場所(施設)などともさらに関連づけられている等々、どこかWikipediaにも似てなくもないですが、基本的にはデータベースとしての整合性を持ったシステムとして考えていました。


すたまオープンミュージアム[実装]
 このコンセプトを温めながら、自分自身でWeb-DBシステムを作れるようにスキルアップしながら、1999-2000のいわゆる第一次デジタルアーカイブブームの流れと緊急雇用対策事業交付金の時代に、この事業に取り組むことができました。

 基本はSuperINDEXで考え方コンセプトを、FileMaker pro(当時はWebDB機能がついたばかりで、制限事項が少なかった)と、開発にクラリス HomePage Proを使う事で、比較的簡単に作る事ができた。それでもCDMLという独自の記述方式でしたが、HTMLに比較的安易に埋め込むことができました。

 この時は主題テーブルをおかず、
 文化財テーブル
 場所/施設テーブル
 人物テーブル
 団体テーブル
 イベントテーブル

などの、地域情報資源の種類毎にテーブルをつくり、それらを組み合わせの数だけリレーショナルを組むという、けっこうな力技で構築しました。
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イベントカレンダーのシステムも自前でつくったり、地図を組み込むのにオープンなGISはないものか…と探してみたり…、そんな時期でした。

データベースと写真、動画、音声そしてQuickTimeVRのパノラマ(360度見渡せる)とオブジェクト(物体を回転させることができる)を使いながら、神社仏閣やフィールド、公園などのパノラマ画像と、土器などの文化財のVRを埋め込むなど、自分としてはかなりの出来だったかと思っています。

残念ながら、2004年3月までの契約(その4月から山中湖情報創造館勤務)があって、後任に引き渡したのですが、その後の町村合併に伴う庁内ネットワークの再構築などもあったりして、結局現在では、データベース機能を排除してかろうじて動画を見ることができる程度になってしまいました。

すたまオープンミュージアム改
このシステムを作っているなかで、当初の情報資源の種類別テーブルとその組み合わせの数 (n*(n-2))/2個のリレーショナルを組むという、力技的なシステム構築を続けていく中で、終盤の頃にはその改良型のアイデアが生まれていました。それが「多種類情報資源相互参照システム」です。

 1.多種類情報資源をコアテーブルと種類別テーブルに別けます。
 2.コアテーブルと種類別テーブルのリレーションを組みます。
 3.コアテーブルとコアテーブルとのリレーションを組みます。

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 このシンプルな構造で、多種類の情報資源を相互に参照するシステムの構築ができるようになるのです。これによって、多種類の情報資源の関連づけが1つのリレーションの組み合わせによって構築できるため、こんどは[関連性の種類]に手を入れる事ができるようになります。すなわち、単に[関連性がある][リンクしている]というだけでなく、どのような関係性なのか。人物と人物は[親子]なのか[兄弟]なのか、[ライバル]なのか[師弟]なのか…等々。

ここまでの物事の記述を、データベースシステムで構築してみるてはじめて、情報資源と情報資源との関係性によって、いろいろなことが記述できることが判ってきました。反面、整合性についても気になる様になりました。例えば、今年の大河ドラマの「江(ごう)」を例にとれば、浅井長政の[娘:三女]であるだけでなく、時期によって嫁ぎ先が変わっています。それを整合性をもったデータベースシステムで構築するとなると…関係性に対して時間という要素を入れたりするなどそれはもう大変。

ところが、これらの情報資源と情報資源の関連性を、あっさりと表現できる手法がある!ということに気がついたのです。

それが、すなわち「物語化」という情報の組織化手法なのです。
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by maruyama_takahiro | 2011-01-04 00:46 | 日々是電網 | Comments(0)