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本のイノベーション(技術革新)を考える

ひさびさのブログです。

facebookでもいいかな〜と思ったのですが、ちょっと長くなりそうだったのでブログに書き留めて起きます。
僕は山中湖情報創造館という図書館機能を有する施設の指定管理者館長をしています。さぞや「本が好き」な人なのだろう…と、思われがちですが、実は…本は嫌いではないが、手放しで好きなわけでもない。というのが本当のところです。昨今「電子書籍」といった新しいカタチの本があるから、それはイノベーション(技術革新)だろう〜と言われる人もいらっしゃいますので、まずは「電子書籍」について


○ 電子書籍は本のイノベーションではないのか?

 ひとつの見方でいえば、電子書籍端末やスマートフォンやタブレット、そしてパソコンを使って読む電子書籍は、技術革新だと思います。ただ、正直なところ「紙の本の模造品」的な電子書籍なのです。かつて本がデジタル化される…という時代をみてきたものとしては、そこに「ハイパーカード」や、それをプラットフォームにした「エキスパンド・ブック」といった、紙の本ではできない「デジタル」だからこそ表現可能な本のスタイルがありました。文字や図版だけでなく、動画や音声、3Dデータなどを含めたコンテンツです。エキスパンドブックはその後ハイパーカードを離れ、独自のプラットホームを持つに至りましたが、残念なことに今日当時の電子出版物さえ見ることはできなくなりました。また、Apple社のiBooks AuthorやAdobe社のInDesignなども、実はマルチメディアコンテンツの本を作るためのツールとして登場していましたが、残念なくらい動画や音声など紙の本を超える本は…ごくたまにあるくらいです。電子書籍フォーマットであるePUB(イーパブ)も、そのフォーマットには規格されているにもかかわらず、デジタルならではの表現をもった本はメジャーな出版物としては登場していません。そうこうしているうちに、紙の本と同様の電子書籍、電子コミックが登場し、それこそがデジタルによる本の技術革新…というのは、少し寂しい気もしています。いまのところ「デジタルでなければ表現できない本のスタイル」には至っていない…と、僕は思っています。


○ 知識に重さはないはずなのに、本になったとたんに重さを感じる。

 本に対する不満のひとつに、その[重さ]があります。紙を使っているのだから重たいのはあたりまえだろう!って怒られそうですし、一方の業界からは、だったら電子書籍端末に電子書籍をいれれば、何冊いれたって重さは増えない!っていわれそうです…が、では「紙の本は軽量化に取り組んだか」といえば、それはほとんどありません。判型(本の大きさ)こそ、単行本や新書、文庫版といったあるていの規格サイズにこそなりましたら、ページに使っている紙、表紙、本全体の軽量化に取り組んだということは耳にしていません。これはとりもなおさず、輸送費や倉庫の重量に耐えられる…といったことにも繋がるので、歓迎すべきことだとおもいますし、個人の本好きが本の重さでアパートの二階の床が抜けた…というニュースも、ごくたまにですが耳にします。先日も地元中学生のキャリア教育の一環として図書館の仕事を体験してもらいましたが、その時の感想に「意外と重労働なんですね」とも言われてしましました。
 本に書かれている文字も写真も図も、そこから読み解ける知識にも物理的な「重さ」はありません。しかしそれが「本」になったとたんに重さを持ち、それが当たり前として軽量化に取り組むこともなく今日に至ったことは、すこしだけ悲しく思っているのです。


○ 本はこの百数十年、記録容量に大きな変化はない。

 パソコンの世界には「フロッピーディスク」という記憶媒体があった。さらにその前のマイコンの時代にはカセットテープも使っていたこともあった。フロッピーディスクには8インチ、5インチ、そしてプラスチックケースに入った3.5インチがあり、比較的3.5インチフロッピーディスクは、2HD 1.44MB(メガバイト)の時代が長く続いた。同時に大容量には、MO(エムオー)640MB やZIP(ジップ)750MBなどが登場したり、CD-R 740MB などの書き込み可能なディスクも登場してきた。
 そうこうしているうちに、デジタルカメラなどの登場により、磁気記憶装置からシリコンチップへの記憶媒体が登場し、昨今ではUSBメモリやSDカードなどで、8GB、16GB、32GB、64GB、128GBなど…3.5FDの時代からは、恐ろしいほどの大容量化が進んだ。しかも、しかもである。大きさは1/10なんてもんじゃない。

 例えば、3.5インチフロッピーディスクの容量を縦横1.2cmの1.44㎠と仮定すると、1GBは縦横32cmの面積=1,024㎠になる。USBメモリやSDカードの4GBや8GB、16GBなどは、この1,024㎠が4面、8面、16面もあることになる。しかもこれらの物理的サイズの比較をすると左から3.5インチFD、SDカード、microSDカードである。デジタル系の業界がこの数十年間にこれだけの記録容量を激変させている一方で、紙の本の記録容量には…百数十年間大きな変化は、無い。

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○ 本を読むには時間がかかる

 本好きの人には当たり前に聞こえるかもしれない。だが本を読まない人…出版マーケティング的には「未開拓の潜在顧客」の多くは、本を読まない理由に「読む時間がないから」と答えている。それに対して本を作る側はどうしているだろうか。短時間で読める本を作る努力や創意工夫をしているのだろうか? 例えばデッサンや絵画、彫刻・彫塑のジャンルでは、「まずは大まかに全体像を捉え」「それから徐々に細部を描き/作り」「最後は丁寧にディティールを仕上げる」くらいの段階を踏む。中にはいきなり材木から指先を削り出す彫刻家やいきなり細部を描き出す画家もいるにはいるが、ごく希少な存在である。このように読書においても、一度ではなく、まずは全体像を把握、徐々に細部を読み、最後は一字一句を読んでいく…ような段階的読書方法だって有ると思っている。だが、残念なことに、そのような読書スタイルに対応した出版物は、みあたらない。(ビジネス書系にはあるかもしれないが)
 本のイノベーションのタネとして「読者に時間をかけずに本を読むための工夫」みたいなところに、技術革新はあるかもしれない…と、思っている。


○ 本を読んでも覚えていられない(忘れちゃう!)

 時間の無い中で、読書の時間を作り、一字一句丁寧に読むことができたとしよう。問題はその次だ。「読んだ内容をすぐに忘れてしまう」のだ。これは読者側の能力の問題…といってしまえば、それまでだが、もう一方で「記憶に残らない本を作っている」という感覚を持って欲しい。一度読んだら忘れない本。書いて有る内容…いやむしろ著者が伝えたい内容を読者が忘れないようにする工夫。そんなところに、本のイノベーションのネタが埋まっていると思う。
 場合によっては、読み終えても登場人物の…いや主人公の名前すら覚えていないこともある。読み終えたはずの本の内容を誰かに伝えたくても、読み終えたことは覚えていてもどんな内容だったかを人に説明できるほど記憶していない…のだ。
 人の記憶は不確かな一方で、とんでもない瞬間を記憶していることがある。雑誌のページをぺらぺらめくりながら、読み飛ばしたページの右上にあった絵が何か気になったのだけど、そのページを探せない…みたいなことが、僕にはある。パラパラとめくっているだけのページのはずなのに、特定の文字(キーワード)だけが目に入って記憶しているのだけれど、そのページを探すのにこれまた時間がかかったりもする。ぼくだけの症状なのか、他の人にもあるのかはしれないけれど、『ぱらぱらとページをめくるだけでも記憶に残る編集方法』がありはしないだろうか。
 また、記憶の濃淡/強弱…ここだけは覚えて欲しい。みたいな編集方法もありそうに思うのだ。


○ 僕たちは何のために読書をするのか。

 本を読み終えたことだけは覚えているけれど、主人公の名前も登場人物の名前も、いつ・どこで・だれが・なにを・どのように・どうした…いわゆる5W1Hを他人に伝えられるほど、読書をしても記憶しているわけでは無い。村上春樹の『ノルウェーの森』を読んだ人は、主人公の名前を言えるか自問してみるといい。
 さて、一方で読書は学びのためにする…ということも言える。知識や他人の経験を追体験するのもまた読書の役割だと思う。ただ本当に著者が伝えたい知識が、ちゃんと伝達できているのだろうか?いや、そもそも「知識」とは何かという定義すらあいまいではないか。いやいや世の中には「知識工学」といものがあってだな〜…と、あれやこれや。
 読了後、内容を覚えていないのはしかたがないと譲っても、知識として何が得られたのか…は、重要な問題だ。これはいわゆる「費用対効果」。本を買うにしても、仮に無料の図書館で借りるにしても交通費や時間などの労力をかけるわけだから、それに見合うだけの見返りがなければならない。
 一字一句暗記しなくてもいい、内容の5W1Hを誰かに伝えられなくてもいい。だけど『読んだことで知識を得る』ことができなければ、もう本などは買わない。
 そういう意味で、読了後『知識を得られる本』『得られた知識を忘れない本』そういう本を著者は書くべきだと思うし、編集し出版する側も、そこに本のイノベーションのネタが眠っていることを考えて欲しいと思っている。


あとがき

 実はなぜこんなことを書いたかといえば、とある人から「丸山さんも本を出したら〜」と言われたからなのだ。常日頃から「今の本には他の産業のようなイノベーションが無い」と言っているだけに、自分で出す本が、まったくのイノベーションの無い本だったら、もう誰も丸山の言葉に耳を貸さなくなるだろう。もし僕が書く本があるとしたら、少しでも従来の本とは違う「イノベーティブ」な部分を持っている本にしたい…と、思い立ったので、こんなことを書き出してみた。

 もちろん、印刷や製本、編集の製造サイドにおいては、版木から活字、写植を経てDTPへと大きな変化があったし、それにより生まれて没した産業があることも知っている(活字産業は写植産業によって消え、写植産業はDTPの登場によって消えました)。

 ここまで読んでいただいた人がいらっしゃったら、深く感謝いたします。
 本に対する愛と憎しみと屈折した思いをもちながら、この情報や知識や物語の世界に、まだしばらくはいる予定です。

ありがとうございました。


by maruyama_takahiro | 2017-11-11 17:10 | 日々是電網
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