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地域メディア/市民メディアが...と言われて久しいのに...

厳密な意味で、何をもって「地域メディア」か、何をもって「市民メディア」か...という定義はさておいて...阪神淡路大震災後あたりから注目されてきた、地域メディア/市民メディアですから...ゆうに15年くらいになりましょうか。それだけの時間を経過しながら、実のところやっとここらあたりで立ち上がろうとしているのかな...程度しか感じないんです。

もちろん、実践されている方はたくさんいらっしゃいますよ。それは分かっているんですが、実情をみると「ちょっと特殊な人たちが使命感でやっている」姿を強く感じてしまって、全国的に普及する様子が、まだまだ見えて来ないんです。
環境教育が、たかだが20年程度で今日のポジションを築き上げたのに比べて...ちょっくら歯痒さすら感じていたりします。

僕は3つくらい課題があるように思ってます。

その1.人的交流の拠点がない。
 もちょっと分かりやすく言えば、合宿して飲んだくれて市民メディア論やら地域メディア論を戦わせる機会を持っていないこと。

その2.マスメディアをモデルにしていること。
 いわゆる新聞/雑誌/ラジオ/テレビ、すでにプロフェッショナルな業種として確立しているスタイルを模倣することは、体力的に弱くなりがりな地域メディア/市民メディアにとっては、敷居を高くしてしまうのです。またマスメディアをモデルにすることで、一種のヒエラルキーが生じ、設備的なものやアナウンサーのレベルなどが、比較の対象になってしまい、かえって交流を阻んでいるのではないか。

その3.2とも関係するのですが、メディアの縦割りが顕著
 アナログな時代に培ってきたマスメディアスタイルをモデルとしているために、ラジオはラジオ、新聞は新聞というスタイルに固定されてしまった。デジタル時代でいうワンソースマルチユースが、地域メディア/市民メディアで活かしきれていない。

なんてことを、論理的な論拠というよりも、これまでに僕が見聞きしてきた地域メディア/市民メディア等々の中から、環境教育の成長の過程との比較を含めて感じていることです。

特に、2、3については一つの自論があります。

それは、なぜ市民メディアはマスメディアを模倣したがるのか、です。
具体的に書くと、『YouTubeはどうしてあれで成立しているのか』を考えて欲しいのです。
Broadcast Yourself とあります。当然アマチュアであろうとプロであろうと、「テレビ番組」の模倣をしがちですが...実はさにあらず、何でも無い映像のクリップがタイトルもなければ、エンドロールもないままアップロードされているんです。テレビ的番組を作るとしたら、タイトルがあって、オープニングがあって、出演者のあいさつをいれて、ニュースっぽいものを読んでみたり、なんなりと...プロが作るテレビ番組をモデルを踏襲してしまいそうですが、YouTubeにアップロードされているアマチュアの投稿は、そんなことおかまいなしなんです。
だから...YouTubeの映像クリップはテレビ番組と比較されないんです。まったく違うものとして受け入れられるんです。ケータイの動画の画質もOKなんです。
ところが、音声だけのポッドキャストになると、この状況が一変します。どんなアマチュアでもラジオ番組風に作ろうとするんです。それによって、番組の質がプロのラジオ番組とアマチュアのポッドキャストが、同じ土俵で比較されてしまう。YouTubeは比較の対象にすらならない。

この違いを感じます。

で、地域メディア/市民メディアもこの、ポッドキャストの轍を踏んでいるです。
だから、全国的に見回しても出来る人が限定されてしまう。YouTubeは全国全世界いたるところから動画クリップのアップロードで Broadcast が成立しているのに、地域メディア/市民メディアに関わる人たちが、知らず知らずに踏襲しているマスメディアの番組モデルで作ってしまうことで、逆に全国規模のムーブメントにならないままなんです(独断と偏見です)。

僕自身は、このあたりを払拭するための、『地域の情報拠点モデル』が必要だと思っています。
それは、マスメディアのモデルにこだわらない、ラジオはラジオ、テレビはテレビ、新聞は新聞、ミニコミはミニコミ....といった、従来型の縦割りモデルにとらわれない、デジタル時代でありアマチュア時代であればこそ、成立するモデルを検証してみたいと考えていたりします。

さぁ、何が出てくるやら〜...ですけどね。
by maruyama_takahiro | 2009-06-04 00:15 | 地域の情報拠点
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