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■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その3

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その3
 −情況と状況−
 
 広辞苑にあった【情況・状況】という記述に関しては、それ以上のものが出てこない。どういう場合が情況で、どういう場合が状況なのかである。類似用語を探りながら考えてみたい。
 「状況」類似語として「状態」という語がある。モノの有様と考えると、物理的な存在(物体)の有様を指すと考えることができる。つまり「状況」とは、物理的なモノなどの様子、有様。とすることができる。
 これに比べて「情況」の類似語には、「情勢」という語がある。モノというよりもむしろ、その場の雰囲気/メンタルな面での勢いを指すのではないだろうか。つまり「情況」とはメンタルな様子、有様。と考えることができる。
 具体的に例えれば、戦車や装備はボロボロな状況であっても、戦意は上昇していれば、情況はよいのであり、逆に戦車も装備も無傷であっても、戦意喪失していれば、情況は最悪である。司令官としては、そのどちらも知りたいところであろうから、本来ならば「情況報告」というよりも「情状報告」の短縮語が「情報」であるといってもよいかもしれない。情状というと何か難しい言葉のようにも聞こえるが、実は私たちは日々のニュースやテレビドラマなのでよく耳にしている。「情状酌量」という時の情状が、これである。
 以上のように、「情報とは何か...」を語源から探れば、それは軍事用語であり、「情況報告」あるいは「情状報告」の短縮語である。
 そして注意しなければならないことは、この軍事用語が、小学生も使う日常語となったことである。
 
(参考文献)
広辞苑 第五版
# by maruyama_takahiro | 2004-07-16 08:00 | 日々是電網

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その2

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その2
 −敵を知り、己を知れば、百戦危うからず−
 情報が、「情況報告」の短縮語だったとわかれば、あとは芋づる式に思考を進めることができる。
 「情報」が軍事用となれば、以下のように考えられないだろうか。
 まず戦闘において、司令官は必ずしも現場に居るとは限らない。戦国時代の合戦ですら、総大将は戦闘現場から遠く離れたところで指揮を執る。その指揮に必要なのが「情報」である。

状況報告に必要な要素は、以下の4つである。
1.情況・状況となる 「現場」
2.現場を記録する 「記録者・感受装置」
3.記録したもの 「記憶媒体」
3.記録を運ぶもの 「伝達媒体」
4.記録を復元する 「受信者・再生装置」
5.それを情報として受け取る 「司令」

[現場]現在の日本において、この軍隊に類似した組織として「自衛隊」がある。この自衛隊の中では様々な訓練が行われるが、その都度「じょうきょう」が設定される。指揮用語として「状況開始!」「状況終了!」があり、隊員各自はその都度「状況に入る」のである。
「記録者・感受装置」英語で言えばセンサーといってもよいだろう。それぞれの情況・状況を、文章にしたり、スケッチしたり、写真やフィルムで記録したりすることである。いわば情報の記録化であり、テレパシーを使う以外は、なんらかの「記憶媒体」が必要となる。
「記憶媒体」現場の状況を記録するために、紙と鉛筆を使うならばその「紙」である。写真や映画ならフィルムである。感受者の記録を、持ち運び可能にするもの(可搬化) といってよいだろう。
「伝達媒体」可搬化した記憶媒体を、受信者まで届ける手段である。人ならば「伝令」だったり、のろしの煙や太鼓の音だったり、無線通信や伝書鳩だったりする。
「受信者・再生装置」運ばれてきた伝達媒体を、もとの現場記録に再現するものである。折り畳まれた手紙なら、それを広げて読めるようにすることから、高度に暗号化された文章を復号化してもとの記録に戻すことである。
 そして「情報」を「情報」たらしめる者として、「司令」がある。情況報告が情況報告として、存在意義を持つのは、「その知らせが次の行動に結びつくか、結びつけられるか」に関わってくる。つまり、次の行動に結びつかない知らせは、情況報告にはならない。と言っても過言ではない。
 さらに「司令」は、受け取った「情報=情況報告」と、自らの培ってきた「知識や経験」に照らし合わせて、『情況認識』と『情況判断』を行う。そして『作戦を計画し』『発令し行動する』のである。

敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
「情報」の本質は、ここにあるのではないだろうか。
# by maruyama_takahiro | 2004-07-16 07:59 | 日々是電網

そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その1

■そうか!情報って「情況報告」だったんだ。 その1
 −「情報」かく生まれけり−

 情報学関連の書籍をみると、「情報」とは文豪・森鴎外の造語で、クラウゼビッツ著の「戦論」の訳書の中で登場する(1903)。などとあるが、実際には、和語として1876年(明治9年)「フランス歩兵陣中要務書」の訳書の中で使われ、兵語としては1882年(明治15年)「野外陣中軌典」に初出しているようである。そもそも、一般用語ではなく軍事用語として「情報」が使われ、しかも「諜報」と同様に使われていたことがわかる。
 森鴎外は、文豪であると同時に、軍医であった。陸軍○○として●●に従軍したこともある。その軍医殿が、戦場で使われている用語を知らないはずは無い。むしろ、Information と同じ場面で使用されている用語として、「情況報告」あるいはその短縮語である「情報」を、Information の訳語として用いたのではないだろうか。
 
 偵察が戦場の様子を司令官に伝えるシーンでは、「情況報告! ▲▲が丘に展開中の敵5000。」というべきところを、「情報! ▲▲が丘に展開中の敵5000。」となったのではないだろうか。

 そしてこの軍事用語が、今日ごくあたりまえの用語として用いられている。これは、軍隊という組織活動においては、決定・判断をするのが司令官(司令部)ならば、そこにいかに有益な情況報告を集めるかが、次の一手としての行動に大きく影響するが、末端の兵士においては、意思決定を司令部にゆだねていることになる。その反面、現場の一兵卒には責任はない。
 昨今よく言われることに「自己責任」があるが、情況報告を得られず司令部からの命令による現場には「責任」はない。しかし、情報が一般用語と化し、様々な情況報告が個人でも入手可能となる場合には、その情報に基づく行動による責任は、まさに「自己責任」となる。逆を言えば、「自己責任社会」を標榜するのであれば、それにふさわしい個人が必要な時に必要な情報を得るシステムを保障しなければならない。そうしたシステムが存在しない世の中において、「自己責任」を言うのであれば、それは様々な現場からの情況報告を得ずに戦場に命令を出す司令官の姿を想像して欲しい。それは太平洋戦争中の帝国陸海軍よりも、恐ろしことになる。
 
(参考文献)
「日本陸海軍事典(上)」原剛・安岡昭男編
# by maruyama_takahiro | 2004-07-16 07:58 | 日々是電網

「情報」とは、「情況報告」である。

これは、私の持論です。
「情報」という言葉は、森鴎外による造語/訳語という説があるが、なぜ鴎外は「情報」という言葉を作ったのだろうか...と考えたことがある。

森鴎外は、文豪であると同時に医者でもあった。しかも従軍の軍医殿である。
そもそも、Informationという言葉は、戦争によって誕生した。敵の様子を伝えたものが、Information なのである。この戦争用語を、軍医であった鴎外は、偵察から帰ってきた斥候(せっこう)の言葉に、ハタと思いついたのである。
「情況報告! 敵ハ●●丘ニ潜伏セリ」。そうか、情況報告と Informationは、同じ意味だと。しかも軍隊ということころは、4文字以上の熟語は短縮する傾向がある。
そこで、「情況報告」が略されて「情報」となったのである。
文豪である鴎外も、「情けに報いる」とはなかなかしゃれとる...とおもったかどうか。
ちなみに、広辞苑を引いていただきたい。「状況」と「情況」は、同意語である。

と....そんなシーンを想像しているのだが、真実はいかに....
# by maruyama_takahiro | 2004-05-27 20:42 | 日々是電網

変革の世紀

山中湖情報創造館のWebサイトから、蔵書の検索ができる。

「メディアリテラシー」について検索しているうちに、『変革の世紀』を見つけた。これは、NHKスペシャルで放映された内容を本にしたものだが、放送そのものは、直接見ていないだけに、これは読んでみよう!と思い、そのWebページからテストもかねて、Webページから予約してみた。

 この『変革の世紀』だが、当時のあいまいな記憶をたどれば、テレビ番組とWebサイト。そして視聴者からの投稿(とその連鎖による樹のイメージ)などがあったように思うが、本では、視聴者からの部分は収録されず、番組としての内容をテキストで定着させているものであった。実はこのことがとても重要だと感じている。テレビ放送は、言ってしまえば放送しっぱなし。再放送はあるものの、ビデオやDVDなどのパッケージになるものは、人気のあったテレビドラマくらいなもので、あとはたまたま誰かが録画していなければ、見る事はできない。それを本(文字や写真/図版を紙の上に定着したもの)になることは、ある形態を変えたアーカイブとも言える。

 最近では、同局の「プロジェクトX」シリーズが、テレビ放送/小説版/コミック版/ビデオ版/DVD版と、かなりメディアミックスとして展開しているが、ごくごく希少な事例である。

 さて、同書を読んでおもうのだが、最初は小さな個人の想いが、やがて大きなムーブメントとなって、時代を変えつつあるんだなぁ、と感じる。市民活動、NPO、知識や情報の共有とそれを支えているインターネットと様々なIT技術。同時多発的に世界のいたるところで、タケノコのように芽をだしている。
この山中湖情報創造館も、そのムーブメントのひとつとして位置づけられる。
山中湖村とNPO法人地域資料デジタル化研究会。そして館長以下現場のスタッフたち。図書館としてはまだまだよちよち歩きをはじめたばかりではあるが、毎日毎日ちょっとずつ成長しているなぁ、と感じるのである。

 今日は雨。
 あいにくの雨...というよりも、雨後の新緑が目にまぶしく映る季節なのである。
# by maruyama_takahiro | 2004-05-10 07:51 | 山中湖情報創造館